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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2011:08/26/10:34  ++  特集――菅政権の1年3ヵ月、「首相主導」固執の果て。

唐突な発言次々…成果は乏しく
 菅直人首相は26日の記者会見で、正式に退陣を表明する。就任後しばらくは「脱小沢」路線で支持を集めたが、次々に打ち出した政策はほとんど成果につながらなかった。参院で野党が多数を占める「逆転国会」対策にも一貫性がなく、東日本大震災の復興、原発事故対応では首相主導に固執し、孤立を深めた。菅政権の1年3カ月を振り返る。
 「自民党が提案している10%という数字を一つの参考にする」
 首相は就任直後の昨年6月17日、民主党の参院選マニフェスト(政権公約)を発表する記者会見で、消費税率の引き上げに言及した。マニフェストでは一切、触れていなかったため、野党だけでなく、民主党内からも批判を浴びた。
 約1年後、政府・与党は社会保障と税の一体改革案をまとめたが、党内の反発で引き上げ時期を明確にできず、閣議決定にも至らなかった。党内論議を軽視して唐突に新政策を打ち出し、まとめきれずに終わる――。同じような構図はその後も繰り返された。
■  ■
 一例は環太平洋経済連携協定(TPP)への参加問題だ。首相は10月の臨時国会の所信表明演説で「交渉への参加を検討する」と提唱したが、政府・与党内で詰めた議論はしていなかった。
 民主党の農林水産関係議員は「国内農業が壊滅する」などと反発。TPPに理解を示す議員も少なからずいたが、積極的な空気は生まれず、首相が調整に乗り出すこともなかった。東日本大震災の影響もあり、結論は次期政権に持ち越した。
 外交にも悪影響が及んだ。沖縄県の尖閣諸島沖での海上保安庁巡視船と中国漁船との衝突事件では、いったん中国人船長を逮捕しながら、処分保留で釈放するというちぐはぐな対応に批判が集中。参院で仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相(いずれも当時)の問責決議が可決し、両氏が詰め腹を切らされた。
 米軍普天間基地の移設問題は沖縄との調整が進まず、今年春に予定していた日米首脳会談は延期。ロシアのメドベージェフ大統領の北方領土訪問には手をこまぬくばかりだった。
■  ■
 3月の東日本大震災や東京電力福島第1原子力発電所事故への対応は後手に回った。首相周辺は「首相が陣頭指揮で危機を救った」と強調するが、首相の口出しによって、現場がかえって混乱したという指摘は根強い。原発周辺以外の被災地の救援作業の遅れを招いたという声もある。
 中部電力浜岡原発の運転停止を巡っては、海江田万里経済産業相と擦り合わせていなかったことが判明。稼働中の原発へのストレステスト(耐性調査)の導入や「脱原発依存」発言で、閣内不一致は白日の下にさらされた。
 首相の念頭にあったのは経産省や電力会社の「原子力ムラ」の解体だ。経産省を仮想敵とし、世論を味方につけようとしたが、中長期的なエネルギー戦略の転換を進めるための準備や調整をした形跡は見当たらない。
 「本当に自らの実力を認識していたのか。政権を取ったことに浮かれて謙虚さを忘れてはいなかったか」。側近議員の一人は首相の1年3カ月をこう総括した。

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