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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2011:04/08/11:05  ++  特集――3月12日7時11分、弁開放まだ始まらない、東電対応に不信強まる。

自衛隊のヘリに乗った首相が福島第1原発に着いた。マイクロバスから敷地内を巡回視察後、非常災害対策本部が入る免震重要棟に入る。建物内の廊下には疲れ切った職員の多くが毛布にくるまってへたり込んでいた。胸に簡易な線量計をつけた首相はその中をすり抜けるように会議室に入っていく。
 出発前の午前6時8分。首相官邸3階のエントランスホールに防災服と防災靴で現れた菅は記者団に言った。「現地責任者ときちっと話して状況を確認したい」
 現地は緊迫の度を増していた。原子力安全・保安院長の寺坂信昭と東電は記者会見で、福島第1原発の正門付近の放射線量が通常時の8倍に、1号機の中央制御室では通常の1千倍に達したことを明らかにした。「原子炉建屋の中でなんらかの損傷があり、放射性物質が漏れている可能性がある」。寺坂は震災で放射性物質が漏れ出たことを初めて認めた。
 弁の開放はまだ始まっていなかった。「いつになったらやるんだよ!」と迫る菅。「もうじきやります。なんとか始めます」と答える東電副社長の武藤栄。
 「ずっと、そればかり言っているじゃないか!」。菅はさらに激高する。同行した一人は「東電は自ら安全神話を壊すのをためらっているのではないか」とつぶやいた。
 現地視察に同行したのは原子力安全委員長の班目春樹、首相補佐官の寺田学、SPや医務官ら総勢10人。最小限の規模にしたのは「大名行列ではだめだ」という菅の指示だ。それでも震災翌日の視察が妥当だったかどうか。「弁の開放など危機対応に東電を専念させるべきだった」との指摘が絶えない。野党は3月29日の参院予算委員会で「政治的パフォーマンスをしたかったのではないか」「現場の邪魔をした」などと批判を浴びせた。
 東電社員が弁を開放する作業に向かったのは、菅が福島第1原発を離れた1時間後の午前9時4分。午前10時17分には弁の開放作業が始まった。経産相、海江田万里の発表からは実に7時間かかった。東電が格納容器の圧力降下を確認したのは、さらにこの4時間後の午後2時30分ごろだ。
 「吉田所長の話で初めて状況が理解できた」。視察後に菅が謝意を示したのは、副社長の武藤ではなく、現場を指揮していた福島第1原発所長の吉田昌郎だった。首相官邸と東電幹部の間に生じた溝は誰の目にも隠しきれなくなっていた。

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