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:2007:11/02/15:57 ++ 【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 「パール判決」の意味は今も重い
≪戦犯全被告の無罪主張≫
安倍晋三首相が退陣し、福田康夫政権がスタートした。私が新政権に希望することの一つは、先の大戦を「侵略戦争」と決め付けた東京裁判史観を排し、インドのパール判事の示した観点によって日本の主張をはっきりと内外にしめしてもらいたいということである。
安倍前首相が在任中インドを訪問したときに、同判事の息子さんに面会したという報道があった。「時代が変わったな」という印象を受けたのは私一人ではないと思う。パール判事は、日本を裁くために行われた国際極東軍事裁判(いわゆる東京裁判)のインド代表の判事だったが、裁判自体のあり方にも重大な疑問を呈し、判決には「全被告の無罪」を主張した。それは少数意見として、裁判所で読み上げられることなく、出版も自由ではなかったのである。
しかし現在、国際法の立場からみると、唯一の価値ある意見であると国際法学者たちは言っているそうである。元首相の岸信介-いわゆるA級戦犯容疑者の一人-も、全面的にパール判決支持者であった。彼の孫の安倍前首相が判事の息子を訪ねたことは、安倍氏の歴史観を示すものとして興味深かった。
パール判決文の意味は今日も大きい。というのは、あの大戦は過去の話ではなく、日本にとって依然として時事問題であるからである。
≪原爆投下は大量虐殺と同じ≫
パール判事は、東京裁判は連合国軍総司令官マッカーサーの命令で行われ、裁判規定もその名で作成されたにしても、国際法に従うべきだとの立場から、検事側の主張を片っ端から破壊してゆく。不戦条約といわれるケロッグ・ブリアン条約についても、ケロッグ(当時のアメリカ国務長官)自身が「自衛戦を禁止するものではない。自衛か否かは各国に決める権利がある。自衛の概念は広範で、経済的脅威に対するものまで含められる」という趣旨のことを議会で述べていたことを指摘し、不戦条約を破ったとして日本を断罪することはできないとした。
また裁判の対象となる時期も不戦条約締結の時まで広げることを嘲笑(ちょうしょう)的に批判した。つまり東京裁判の眼目である共同謀議など成り立つわけがないことを、田中義一内閣についで浜口雄幸内閣ができ…という政変からも述べた。
パール判決でさらに重要なのは、正式の国際条約で決着したことを、この裁判に持ち込んではならないとしたことである。満州国は独立し、中国政府と国交を結ぶ条約を締結したことや、ソ連軍と国境をめぐって戦われた張鼓峰事件やノモンハン事件が正式に平和条約で決着していることを指摘した。さらにソ連軍が日本の敗戦直前に満州に侵攻したことは、ソ連の自衛権の発動とはいえない、ともいっている。アメリカが戦争を早く終結させ、人員の損害を少なくするために原爆を使ったという主張に対しては、同じようなことを第一次世界大戦ではウィルヘルム2世が言っていることを示し、ナチスのホロコーストに近いとまで指摘している。
日本兵の捕虜虐殺については、証言者が法廷に出ないものが大部分であり、同じようなことがアメリカの南北戦争の時、北軍が、敗れた南軍に対して行った捕虜虐待裁判にもあった、という意外な史実も示した(「文芸春秋」9月号で牛村圭氏が詳説)。
≪裁判の「内容」を受諾せず≫
パール判決書を読めば、日本人が東京裁判の「内容」を受諾する必要がないことは明らかである。しかし敗戦国としては、戦勝国の下した「判決」には従わなければならなかった。裁判の「内容」を受諾するか、「判決」を受諾するかは、絶対に混同してはいけない。戸塚ヨットスクール事件で裁判を受けた戸塚宏氏は、監禁致死という裁判「内容」には服しないが、法治国家の人間として「判決」には服した。だから刑期を短縮する機会が与えられても受けなかった。裁判の「内容」を受諾すると、「恐れ入らなければならない」からである。
東京裁判の「内容」受諾と「判決」受諾の違いが、いつの間にか日本ではごっちゃにされている。その悲しい例を最近では山崎正和・中央教育審議会会長の発言の中に見る。氏は言う。「『東京裁判』の描いた戦争の姿はまさに法的真実であって…サンフランシスコ講和条約の条文のなかに、日本は『東京裁判』の判決を否定しないという誓約を明記した…」。東京裁判の「内容」と「判決」を混同したまま日本の教育を論じてもらっては困るのではないか。外務省筋も混同していた。これでは日本外交の姿勢がくずれるだろう。(わたなべ しょういち)
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