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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2007:09/21/11:27  ++  【正論】安倍首相辞任 日本大学教授・百地章 女系天皇と追悼施設どうなる

■伝統破壊の「仕掛け人」福田氏に問う

 ≪不可解な出馬と支持の理由≫ 

 安倍晋三総理の突然の辞任表明によって、思わぬ事態の展開となった。しかも、安倍総理の後継者と目されていた麻生太郎自民党幹事長は、自派閥を除く自民党全派閥の包囲網の中で、劣勢に立たされている。

 それにしても福田康夫元官房長官の突然の立候補と、瞬く間に作られた派閥の包囲網には驚くほかない。福田氏は「平時でないから、私がやらなければならないと思った。まさに緊急事態だ」という。しかし、昨年の総裁選では「年も年だし…この年になってやれるのか?」と立候補を取りやめたはず。「国の緊急事態だから」というのであれば、麻生氏が言う「もっと気迫とか情熱をもった者」が必要とされるのではなかろうか。

 派閥の領袖たちが福田氏支持でまとまった理由も、国民には納得がいかない。福田氏が立候補を決めた翌日には、自民党本部で丹羽・古賀、山崎、谷垣各派の領袖と会談しているが、政策について立ち入った話し合いがなされた様子はうかがわれない。報道によれば、古賀誠氏は「麻生太郎幹事長は安倍政権に対する政治責任がある」、谷垣禎一氏も「福田さんの発言には親近感がある」などと言っているだけである。福田氏は「政策を中心とした話をしてきている。別に談合をしているわけではないし、低い次元の話はしない方がいい」と反論しているが、どうみても派閥政治、談合政治そのものではなかろうか。

 ≪追悼施設調査費を計上か≫

 福田氏が当選した場合、拉致問題の後退、媚中外交、改憲への取り組みの中断などは目に見えており、国益という点から考えてきわめて危うい事態が生ずると思われる。それとどうしても訊いておきたいのが、靖国神社に替わる国立追悼施設と女性天皇・女系天皇の問題である。というのは「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会(略称・追悼懇)」も「皇室典範に関する有識者懇談会」も、設置者は福田官房長官(当時)その人だったからである。しかも前者の懇談会では、追悼施設の建設に反対した委員は坂本多加雄氏のみ、後者の懇談会では女性天皇・女系天皇の容認に反対した委員が一人もいないという異例なものであった。

 つまり、追悼施設と女系天皇の両者とも「仕掛け人」は福田官房長官であったといってよい。現に福田氏は今回の出馬会見でも「戦争のすべての犠牲者を追悼できる施設がいつかはできてほしい。戦後60年(以上)たっているので、これから考えていく必要のある時期だ」と語っており、これはまだ終わった話ではない。それに氏は超党派の「国立追悼施設を考える会」の発起人を務めている。しかも福田氏は、靖国神社参拝についても「相手が嫌がることをあえてする必要はない」とまで言い切っている。総理就任早々、追悼施設建設のための調査費を計上し、既成事実化を図ったりすることはないであろうか。

 ≪「女系容認」派を集め懇談会≫

 次に女系天皇の問題であるが、皇室典範に関する有識者懇談会が「女系天皇の容認」と「長子優先主義」を骨子とする報告書を提出したのは平成17年11月のことである。

 しかし、この答申に対しては多数国民の強い反対があり、昨年9月の秋篠宮悠仁親王のご生誕と安倍内閣の誕生により、報告書は事実上棚上げにされた。しかしながら、もし福田内閣の誕生ということにでもなれば、女系天皇容認派の巻き返しも考えられよう。

 この報告書の問題点については、別稿で詳細な批判を加えたことがあるが、新憲法制定以来の政府見解が「憲法第2条の『世襲』とは、本来、男系を意味する」というものであったのに対して、「男系でも女系でも構わない」との政府答弁を初めて行ったのが、福田官房長官であった(拙稿「『皇位の世襲』の意味と『女系天皇』への疑問」『阿部照哉先生喜寿記念論文集 現代社会における国家と法』)。つまり、従来の政府見解と矛盾した答弁を自ら行ったうえ、女系天皇容認派の「有識者」を集めて、都合の良い答申を出させたのが福田官房長官であった。

 追悼施設の建設に反対する国会議員は当時、自民党議員の過半数を占めていたし、「皇室の伝統を守る国会議員の会」会員約200人の大部分は自民党所属の方々である。派閥や選挙区事情等さまざまな理由がおありだろうが、ことは国柄や国家の精神的基礎にかかわる重大問題であり、一歩間違えば取り返しがつかないことになる。そのことをよくよく念頭に置かれ、総裁選びを行って頂きたいと思う。(ももち あきら)

(2007/09/21 05:22)

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