(2007/09/03 06:22)
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:2007:09/05/11:48 ++ 【正論】拓殖大学学長・渡辺利夫 極東アジア地政学の中で日本をみる
≪特異な平和国家・日本≫
日本は巨大なユーラシア大陸の東端に位置する。しかし波高い対馬海流に守られ、古来、中華帝国、ロシア帝国の侵略を受けることの少ない海洋の共同体であった。国境を多数の国々と接する大陸国家が周辺諸国からの政治的・軍事的圧力を恒常的に加えられてきたのとは対照的である。日本において国家概念がなお希薄であるのは、孤立した島国の中で長らく平和を維持してきたという、はるか遠い昔から刷り込まれてきた民族的遺伝子のなせるわざなのかもしれない。
夭折(ようせつ)した坂本多加雄教授によれば、日本が国家たりえたのは古代律令国家と明治国家の2つだけだという(『坂本多加雄選集II』藤原書店、2005年)。律令国家は唐・新羅連合軍との本土決戦を想定して建設され、明治国家が日清・日露戦争にいたる緊迫の極東アジア地政学の中から生まれたものであるのはいうまでもない。
第二次世界大戦での敗北の後、日本は日米同盟を結んだ。自衛隊という大兵力を擁しながら海外への軍事出動はなく、日本の兵士を一人たりとも失わず、外国兵士を一人たりとも殺害することのなかったほどの完全な平和を60年余にわたり享受しえた国が日本以外のどこかにあっただろうか。この完全な平和を維持できた理由の一部は偶然であろうが、他の大半は日本が日米同盟の一方的な受益者であったことによる。
≪国民国家概念の希薄化≫
皮肉なことに、冷戦終焉(しゅうえん)は日本を「敵対国」とする周辺諸国の攻勢をにわかに活発化させた。中国の「歴史認識問題」による対日糾弾、潜水艦の領海侵犯、日中中間線近傍のガス田開発での挑戦的行動。韓国における「反日・反民族行為真相糾明特別法」の成立と施行、竹島問題をめぐる対日非難、その一方での異様なる北朝鮮融和姿勢。北朝鮮のミサイル連続発射、核実験の敢行。現在の極東アジア地政学は開国維新から日清・日露戦争開戦前夜の明治のあのころを彷彿(ほうふつ)させるほどに酷似してきた。
国家概念覚醒(かくせい)の時代に入るかと思いきや、事態は逆の方向に進んでいる。「ポストモダン」といった蒙昧(もうまい)なる思想が日本の知識人の頭に棲み着いてしまったのであろう。ヒト、モノ、カネ、技術、情報が国境なきがごとくに行き交う現代はグローバリゼーションの時代である。旧来の国民国家という空間(領土)も国民国家が紡いできた時間(歴史)もその意味を失いつつあり、つまりは空間的、時間的な「境界」概念が希薄化してきた。問題は、ポストモダン論者がこの事実を「善きもの」と捉え、覇権体制や国民国家体系の「無効化」が新しいアイデンティティーの確立にとって不可欠だと考えていることにある。EU(欧州連合)のように価値や理念を共有し、共通の安全保障体制をもち、経済統合も進んだ地域においては一面の事実であろうが、極東アジアにとっては実に危険な思想である。
≪覇権争奪的な確執覚悟を≫
覇権国家概念はもとより国民国家概念をさえ希薄化させて60年余を経てきた日本が、19世紀的なナショナリズムをたぎらせる国家群の中にひとり孤独にぽつんと位置している、そういう奇妙な構図の地域が極東アジアである。ナショナリズムを抑えきれない国々に取り巻かれ、しかも彼らがかつて日本の統治や侵略を受けた国であればなおのこと、日本が周辺諸国による追撃の標的となることは不可避である。日本はアジア外交において時に覇権争奪的な確執の様相を呈することあるべしとの覚悟をもってアジア外交にのぞまねばならない。
極東アジアの地政学が往時のそれに酷似してきたのであれば、開国維新から日清・日露戦争開戦という日本国の存亡を賭けた危機的状況において、当時の政治指導者やオピニオンリーダーたちが日本の国際環境をどう評価し、どう行動したのかを明晰な問題意識をもって追究し直す必要がある。私はこの夏休み、日清戦争の全局を指揮した時の外務卿陸奥宗光の『蹇々(けんけん)録』を読み返し胸をゆすぶられている。
中国は空前の軍事力増強の真っただ中にあり、日本国内の米軍基地や大都市を標的とする弾道ミサイルはすでに数十基に及び、空母の南シナ海配備も間もない。韓国では半島有事の際の軍事指揮権が間もなく米軍から韓国軍に移管される。米韓同盟の脆弱(ぜいじゃく)化は明らかである。
この期に及んで民主党はテロ特別措置法の延長に反対だという。ポストモダンの思想によりかかっていれば周辺の悪には関わらなくともすむと夢想する知的堕落でなければいいのだが。(わたなべ としお)
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