(2007/08/21 05:04)
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:2007:08/22/15:23 ++ 【正論】日本教育文化研究所所長・森隆夫 人材立国は「米百俵」と教育的良心で
≪きわめて低い公教育費≫
参院選挙で政局台風が発生し、教育への熱気は一気に吹き飛ばされた感がある。教育再生会議がせっかく「社会総がかりで」(第1次報告)「あらゆる手だてで」(第2次報告)と教育改革への意気込みを示していた矢先である。これでは第3次報告の行方が気になる。
台風の目は年金問題だったが、それは確かに国民一人一人の老後の生活にかかわる重要な問題である。しかし、教育も国家百年の大計といわれるように国全体の将来にかかわり、年金に匹敵するといってもよい。そんなとき「教育の将来を考える会」(代表、有馬朗人元東大総長)が緊急メッセージを公表した(8月9日)。題して「学力を伸ばし志ある若者を育てるために」。その意図は人材立国を目指すわが国の将来の人材確保のために公教育予算の増額を訴えることにある。
近年先進国では公教育費を増加させているのにわが国だけが財政支出削減を理由に、教育予算を減らそうとしている。わが国の国内総生産(GDP)一人当たりの教育費は初等中等教育では2・7%で先進諸国の中で下から3番目、高等教育では0・5%で最下位なのである。
たしかにわが国は少ない予算の中でよくがんばってきたからこそ、戦後の疲弊した状態から復興し、成長して今日に至ることができた。そのことに気づいたユネスコは、かつて日本の「成長と教育」の関係の謎を解くために調査を行ったことがある。調査に加わった西ドイツ(当時)のF・エディング教授(教育経済学、ドイツ国際教育研究所)は筆者が若いころ、同じ研究所にいて旧知であった。そこで来日した折に、直接調査結果を尋ねたところ、日本人の伝統的に教育を大切にする心、つまり「教育的良心」が背景にある、との結論だった。
教育的良心といえば、確かに響きはよい。しかし、こうした精神主義は竹槍精神に通じるもので、現代のように複雑で高度に発達した社会では通用しない。いや、教育的良心に頼るだけでは限界があるというべきだろう。それに加え、公教育費の増額が必要なのである。
≪教育的良心を見える形に≫
本当に今もわれわれ日本人に教育的良心があるなら、当然公教育費は増加されるはずである。教育的良心という心は目に見える形で表されなければ、単なる建前に終わる。一般に心は目に見えないが、心の動きは目に見える。公教育費増額が目に見えるかどうか、来年度予算の編成の時期を迎え、願うのはそのことである。
財政支出削減に聖域はないという名目で教育支出も減額されるなら、必ずや将来は人材不足(量)、人材劣化(質)に悩み、反省することになるだろう。反省といえば、個人的なことだが、7月22日付本欄で鬱病(うつびょう)に関して誤解を招くような表現があったと、読者から指摘を受けた。本意ではなかったが、結果的に読者に不快な思いをさせてしまい残念だ。
≪百年の大計といわれ百年≫
教育は国家百年の大計であるとよくいわれる。明治以来、歴代首相や文相(文科相)は機会あるごとにこれを口にしてきた。つまり百年の大計といわれてから百年はたつのである。その結果はどうか。百年の大計ということで、問題を先送りする方便として、この言葉を使っていたようにも思える。本当に百年の大計だというのなら、五十年の中計、一年ごとの小計が描かれていなければならないはずである。
百年の大計は一年一年の積み重ねの上にあるのだから、まず来年の一年をどうするか、今まさに正念場を迎えている。財政窮乏の中、贈られた米百俵を食糧にせず、学校設立費用にあてた長岡藩の故事「米百俵」を語った首相もいたが、それなら毎年一俵ずつ予算を増加してこそ、百俵になる。
その意味では、先の「教育の将来を考える会」の緊急メッセージは、米百俵を訴えているのだ。具体的な増加策として9つの提案をしているが、筆者は、初年度の重点項目として(1)先進国並みの小人数クラス(2)大学の研究関連の人的物的予算(3)学校の耐震対策-の増強を提案したい。
人材立国の途しかないわが国において、伝統的に教育を大切にする心、つまり「教育的良心」を今後も堅持しつつ、それに心のこもった公教育費がプラスされてこそ、優秀なそして志ある人材が量質ともに確保されるのだと思う。「教育の将来を考える会」に参加した一人として、それを希求して止まない。(もり たかお)
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