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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2007:08/17/12:16  ++  【正論】高崎経済大学教授・八木秀次 靖国参拝見送りは「不戦敗」の容認

■歴史解釈は戦争の代替行為である

 ≪なぜ今蒸し返されるのか≫

 先頃、いわゆる従軍慰安婦問題に関する日本政府への謝罪を求める決議が米下院本会議で可決された。今年は12月に南京事件から70周年を迎えるが、中国政府関係や中国系の人々によってやはり日本を非難する映画が10本近く製作されている。そんな中、安倍内閣の高市大臣を除く閣僚が8月15日の靖国神社参拝を見送った。参拝が一人と寂しい限りだが、参拝反対の国内外の圧力に屈した形だ。少なくともそのようなメッセージを国際社会に発したことは間違いない。またもや安倍内閣は対応を誤ったようだ。

 慰安婦や南京という60年以上も前の問題や事件がどうして今頃になって蒸し返され、日本が非難されるのか。サンフランシスコ講和条約や日韓基本条約、日中共同声明で終わった話ではないか、と多くの日本人は考えるだろう。

 “歴史”は多くの日本人にとって過去の事実であり、その研究は学術の領域だ。だが、例えば中国人にとって歴史とは相手を追い詰め、自己批判させ、永久に臣従化させる道具でしかない。獨協大学教授の上村幸治氏によれば、周恩来が死の間際まで苦しんでいたのが「歴史問題」だという。1932年当時、周恩来は寧都で会議を開いて毛沢東を批判した。毛はこれを根に持ち、後に自分が主席になった後、この過去の「歴史問題」を持ち出しては、ねちねちと周をいたぶった。72年、周の膀胱癌(ぼうこうがん)が判明したときも毛は手術を妨害した。周は毛の求めに応じて自己批判書を書いた。家に10日間籠って、一つ一つ自分の罪を数え上げた。書き上げた時には足がむくんで、靴も履けなくなっていた。それでも73年の政治局拡大会議で、周はあらゆる罪名を着せられ、徹底的に指弾された。「『歴史問題』で攻撃し、執拗(しつよう)に謝罪を迫る様子を読みながら、私自身は日本と中国の関係に思いをめぐらせた。歴史を持ち出す毛沢東を中国に、執拗に謝罪を『命じられる』周恩来を日本に置き換えて考えた」(『諸君!』3月号)と上村氏は述べている。

 「過去を水に流す」ことを潔しとする日本人の感性からすれば、過去をほじくり返し、“事件”を捏造(ねつぞう)さえして日本を責め立てる中国や韓国、最近ではアメリカの姿勢は理解できない。だが、彼らの感覚からすれば“歴史”は政治であり、戦争そのものなのだ。

 ≪歴史問題は政治そのもの≫

 ましてや現代は容易に戦争が行えない時代だ。そのため、過去の「戦争の記憶」をめぐって今日、武器を使用しない“戦争”が行われているのだ。過去の戦争の解釈をめぐって善悪を明確にした上で、被害を受けたと称し、そのことを国際的に認定された者が、加害者と称される者よりも道徳的に優位な立場に立つ。それは同時に政治的に優位な立場に立つことでもある。

 米下院決議の背景には中国系の政治団体の存在やそのロビー活動があったことが指摘されている。慰安婦問題は最初は韓国との間の問題であったが、直接関係のないはずの中国系がこの問題に深く関わっているのはもちろん理由がある。“南京大虐殺”と“従軍慰安婦”のダブルでもって、日本を道徳的に劣った卑劣で野蛮な国家として国際社会、特にアメリカの世論に印象付けようということだ。結果、日本は国際社会での影響力を低下させざるを得なくなる。

 ≪中国の“日本叩き”の狙い≫

 一昨年春の中国本土での反日デモが日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りを阻止することが目的であったのと同じく、“歴史”を持ち出しての今日の“日本叩き”も、東アジアでの覇権を確立しようとしている中国にとっては日本の常任理事国入りを阻止し、日米を離間させるという現代政治の思惑によっているのであろう。事実、そのような結果になろう。

 高市大臣を除く閣僚が8月15日の靖国神社参拝を見送ったことは、「戦争の代替行為」である歴史解釈において敗戦を認めたに等しい。それも不戦敗だ。中国はほくそえんでいることだろう。

 安倍首相は就任前、「一国の指導者が、その国のために殉じた人びとにたいして、尊崇の念を表するのは、どこの国でもおこなう行為である。また、その国の伝統や文化にのっとった祈り方があるのも、ごく自然なことであろう」(『美しい国へ』)と書いたほか、様々な場面で靖国神社参拝を約束していたではないか。英霊への公約でもあったはずだ。首相は最後の支持基盤をも失う間違った選択をしたのではないか。

(やぎ ひでつぐ)

(2007/08/17 05:01)

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