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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2009:08/31/10:30  ++  【自公落城】(上)奈落の底に漂う虚脱感

歴史的な大勝を果たした郵政選挙から4年、自民党は一転して奈落に突き落とされた。小泉純一郎元首相の「自民党をぶっつぶす」との言葉は8年を経て現実となったが、あまりの惨敗に党執行部は茫然(ぼうぜん)自失の状態となっており、党再生に動き出すにはまだ時間がかかりそうだ。半世紀にわたり、ほぼ政権の座を独占してきた巨大政党がこれほどもろく崩れるのか-。

 30日の自民党本部は不気味な静けさに包まれた。4階の記者会見場は投開票日用に改装され、自民党公認候補の名前を書いた真っ白な開票ボードが掲げられたが、国会議員の出入りはほとんどなく、党職員らが足早に出入りするだけ。午後になり、マスコミ各社の出口調査の途中経過が漏れ伝わるとますます重い空気が広がった。

 午後7時、細田博之幹事長が険しい表情で党本部に入った。記者団に「結果が分かるまで何も言えない」とだけ語り、幹事長室にこもった。45分後、細田氏は裏口からひそかに党本部を抜け、首相公邸に入った。辞意を伝えるためだった。

 午後8時、投票が締め切られたが、記者会見場に現れたのは菅義偉選対副委員長1人のみ。テレビ各社が自民党惨敗の出口調査結果を次々に報じると「まさかと思っていたが、これが現実なのか。目に見えない地殻変動が起きていたのではないか。私たちは国民目線から遠くなっていたのか」と絶句した。
 細田氏が首相公邸から党本部に戻ってきたのは午後8時半すぎ。厳しい表情で記者会見場に入り、おもむろに開票ボードに赤いバラを付け始めた。党職員がパラパラと拍手し、後は再び「お通夜」のような沈黙が続いた。

 首相が党本部入りしたのは午後10時。1階エントランスで記者が「この結果をどう受け止めますか」と声をかけたが、厳しい表情を崩さず、右手を軽く挙げて職員らにあいさつすると、4階の総裁室に入った。

 「国民のみなさまの声を真摯(しんし)に受け止め、反省にたって出直さなければならない。各候補者は極限まで頑張ったが、このような結果になり、自分の力不足を感じている。経済対策は道半ば、断腸の思いだ…」

 午後10時14分、記者会見場に現れた首相はこう語った後、「速やかに総裁選を行い、決めなければならない。私は今後一党員として自民党再生に力をそそぎたい」と辞意を表明した。

 首相は意外なほどそのさばさばした表情だった。敗因については「自民党に対する積年の不信や不満をぬぐい去ることができなかった」と分析した。ただ、昨秋に解散を引き延ばしたことが惨敗の遠因になったとの指摘には「経済危機を迎え、政局より政策を優先させたのは間違っていなかった。私ども国民の暮らしを守るためにやった経済対策は決して間違っていなかった」と頑として譲らなかった。
 自民党は、首相経験者や幹事長経験者や各派領袖ら大物議員が続々と落選し、党再生の筋道をつけるどころか、今後の党運営のメドさえつかない状況に追い込まれた。

 首相は辞意を表明したが、党総裁の任期を9月末に控え、大がかりな総裁選を実施する余裕はない。特別国会までに総裁選を実施できなければ、特別国会の首相指名選挙で自民党議員は辞意表明した首相の名を書かなければならない事態も十分想定される。次期総裁についても「ポスト麻生」は絞り込まれておらず、さらなる混乱も予想される。

 なぜ自民党はこれほど凋落(ちょうらく)したのか。「政権交代」の風は予想以上に強かったが、突然吹き始めたわけではない。むしろ自民党は長い年月をかけてむしばまれてきたのだ。

 小泉純一郎元首相の登場で息を吹き返し、郵政解散でピークを迎えたが、その後は支持率の長期低迷状態を総裁をすげ替えることでしのいできた。だが、「国民政党」「改革政党」を目指すあまり、各議員の思想信条は右から左までバラバラ。内政・外交とあらゆる政策で足並みがそろわず、混乱を繰り返してきた。

 そんな自民党の体質に国民は嫌気がさし、「NO」を突きつけたのが平成19年夏の参院選だった。にもかかわらず、その後も党の体質を改善できなかったことが今回の惨敗の要因になったことは否定できない。

 首相は党再生への道筋を問われ、こう答えた。

 「自民党は保守政党だ。守るべきものは守るために変えるべきものは変える。家族であり、地域であり、国を守る。日本の寄って立つ基盤は保守的なものだ。これを肝に銘じなければならない」

 保守政党として再出発できるか。自民党は岐路にさしかかっている。

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