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:2007:08/22/15:43 ++ ディー・エヌ・エー社長南場智子氏――新サービス、現場に権限(創るベンチャー経営)
「現場の提案やアイデアが成長を支えている」。七月二十六日、都内で業績説明会を開いたディー・エヌ・エー社長の南場智子(45)の表情は明るかった。新サービスの企画・開発などの権限を現場に与え、ボトムアップで事業を進めるのが南場流。その成果が出たからだ。
二〇〇八年三月期の連結業績は経常利益が前期比九四%増の九十億円、売上高は七九%増の二百五十五億円を見込む。けん引役は携帯電話向けサイト「モバゲータウン」。人脈づくりやゲームを楽しめ、会員数はサイト開設から一年余りで六百万人を超える大手に成長。閲覧数の増加で広告収入が急増した。
「ゲームを楽しめる携帯サイトを作りたい」。現場から提案があったのは〇五年夏。パソコン用の競売サイトに次ぐ柱を模索していた南場は「新たな利用者が期待できる」と判断し、自らスカウトした技術者の一人にシステム作りを全面的に任せた。当初は一億円の損を出したら撤退するつもりだった事業が、今では売上高の四五%を占める。
同社は社員全員に年二回、新規事業の提案を求め、可能性があれば事業化を試みる。前期は決済業務や保険事業など五つの事業に進出。モバゲータウンでは二十以上の新サービスを立ち上げた。発案から一カ月で事業化することもある。
「若者がのびのび働けば新しい事業が芽吹く」。南場は事業化の可否と収益管理に徹し、現場に口を挟むことはまずない。柔軟な事業化とリスクのバランスをとることに腐心する。
南場は大学卒業後、経営コンサルタントのマッキンゼーに入社した。情報通信やハイテク業界を担当し「がむしゃらに働いた」。米国留学を経て一九九六年には役員にあたるパートナーコンサルタントに就任したが、米国でのネット競売の普及に触発され、起業を決意。コンサルタント経験者五人と独立した。
創業当時は外部委託した競売システムの開発が進まず、別会社に発注し直すなどトラブルの連続。月一億円以上の赤字を出して厳しい状況に陥ったこともある。コンサルタント出身のせいかプランが先行し、開発や営業など現場の重要性が分かっていなかった。
南場は「自分には強いリーダーシップがあるわけではない」と語るが、ボトムアップ重視には創業時の苦労も無縁でない。社員を昼食に誘ったり、月に一度は自宅に招いて歓待するなど気配りも欠かさない。
創業直後から南場を知るエキサイト社長の山村幸広(43)は「コンサルタント出身だが、頭でっかちではない。行動力とずぶとさを併せ持つ」と話す。現場の意欲を引き出す経営が、変化の激しいネット業界でディー・エヌ・エーを勝ち組に押し上げた。
ただ急成長で社員数は三百人を超え、南場が社員と緊密に接することは難しくなりつつある。規模拡大の中でどれだけ自由闊達(かったつ)な経営を続けていけるのか。「携帯電話のポータル(玄関)サイトを目指す」という南場にとって、組織づくりや人材育成など難しいかじ取りが待ち受けている。(敬称略)
なんば・ともこ 86年津田塾大学芸卒、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。99年にディー・エヌ・エーを設立し、社長就任。05年東証マザーズ上場。新潟県出身。趣味のドラム演奏が気分転換という。
二〇〇八年三月期の連結業績は経常利益が前期比九四%増の九十億円、売上高は七九%増の二百五十五億円を見込む。けん引役は携帯電話向けサイト「モバゲータウン」。人脈づくりやゲームを楽しめ、会員数はサイト開設から一年余りで六百万人を超える大手に成長。閲覧数の増加で広告収入が急増した。
「ゲームを楽しめる携帯サイトを作りたい」。現場から提案があったのは〇五年夏。パソコン用の競売サイトに次ぐ柱を模索していた南場は「新たな利用者が期待できる」と判断し、自らスカウトした技術者の一人にシステム作りを全面的に任せた。当初は一億円の損を出したら撤退するつもりだった事業が、今では売上高の四五%を占める。
同社は社員全員に年二回、新規事業の提案を求め、可能性があれば事業化を試みる。前期は決済業務や保険事業など五つの事業に進出。モバゲータウンでは二十以上の新サービスを立ち上げた。発案から一カ月で事業化することもある。
「若者がのびのび働けば新しい事業が芽吹く」。南場は事業化の可否と収益管理に徹し、現場に口を挟むことはまずない。柔軟な事業化とリスクのバランスをとることに腐心する。
南場は大学卒業後、経営コンサルタントのマッキンゼーに入社した。情報通信やハイテク業界を担当し「がむしゃらに働いた」。米国留学を経て一九九六年には役員にあたるパートナーコンサルタントに就任したが、米国でのネット競売の普及に触発され、起業を決意。コンサルタント経験者五人と独立した。
創業当時は外部委託した競売システムの開発が進まず、別会社に発注し直すなどトラブルの連続。月一億円以上の赤字を出して厳しい状況に陥ったこともある。コンサルタント出身のせいかプランが先行し、開発や営業など現場の重要性が分かっていなかった。
南場は「自分には強いリーダーシップがあるわけではない」と語るが、ボトムアップ重視には創業時の苦労も無縁でない。社員を昼食に誘ったり、月に一度は自宅に招いて歓待するなど気配りも欠かさない。
創業直後から南場を知るエキサイト社長の山村幸広(43)は「コンサルタント出身だが、頭でっかちではない。行動力とずぶとさを併せ持つ」と話す。現場の意欲を引き出す経営が、変化の激しいネット業界でディー・エヌ・エーを勝ち組に押し上げた。
ただ急成長で社員数は三百人を超え、南場が社員と緊密に接することは難しくなりつつある。規模拡大の中でどれだけ自由闊達(かったつ)な経営を続けていけるのか。「携帯電話のポータル(玄関)サイトを目指す」という南場にとって、組織づくりや人材育成など難しいかじ取りが待ち受けている。(敬称略)
なんば・ともこ 86年津田塾大学芸卒、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。99年にディー・エヌ・エーを設立し、社長就任。05年東証マザーズ上場。新潟県出身。趣味のドラム演奏が気分転換という。
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