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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2008:09/03/10:37  ++  切り札「内閣改造・経済対策」不発、首相辞任、孤独な決断――禅譲、最後まで否定。

与党内からも驚きの声が上がった一日夜の福田康夫首相の電撃的な辞任表明。首相は内閣改造と経済対策という二つの切り札を使って難局打開を試みたものの、政権浮揚のシナリオは功を奏さなかった。一人で熟慮を重ねた末にたどり着いたのが、臨時国会の召集を待たず「首相の座」を降りるという孤独な決断だった。
 「麻生さんへの禅譲なんてあるわけないでしょ」。八月半ば、首相は長い付き合いがある民間人に意気軒高に語った。
 首相は八月一日の内閣改造と自民党役員人事で麻生太郎幹事長ら政権に距離を置いてきた勢力の取り込みに成功。このころ首相は強気で、衆院解散・総選挙について「急ぐ必要なんてない。三百議席をとれるわけもないし、ねじれも解消するわけがない」と周囲に漏らした。官邸関係者は「首相の本心は来年度予算が成立した来年春以降」との見方を強めていた。
 誤算があったとすれば「早期解散戦略」に大きくカジを切った公明党の動きだった。臨時国会の召集日や会期さえ決められず、首相が麻生氏に「公明党の言う通りやってるだけじゃ駄目だ」としかりつける場面もあった。
【図・写真】自民党総務会に臨む福田首相(中)(2日、自民党本部)
 首相は知人に「自分の意向が内部でなかなか通らない」と不満を漏らす一方、ぎくしゃくし始めた公明党との関係については「そんなことは些事(さじ)だ」と楽観的な見方を示していた。
 公明党の太田昭宏代表とは個人的な信頼関係を築いてきた。首相は八月十九日、臨時国会の召集を九月十二日と内々に決めながら「九月中旬」と表明した。「決められない首相」と批判を浴びるリスクを冒してまで、あえて「中旬」という表現を選んだのも太田氏への配慮からだった。
 この直後から首相がカレンダーに目を向ける機会が多くなったという。関係者は「今思えばそのころから辞意表明のタイミングを思案していたのではないか」と振り返る。
 政権浮揚への最後の切り札となった総合経済対策。「財政規律」という政治信条を辛うじて守った格好で最大限のメニューをそろえ、政府・与党決定にこぎ着けた。にもかかわらず八月末の本社世論調査での内閣支持率は二九%に下落した。
 九月一日の夕方。大阪府での防災訓練を終えて首相公邸に戻った首相は麻生氏らとの会談を前に秘書官を呼び、「これから記者会見をやる」と明かした。「万一」を想定した原稿を前日ひそかに準備させていたが、事情を知るごく限られたスタッフも翌日すぐ使うとは予期していなかった。
 当日まで家族にも知らせず、たった一人で辞任を決めた首相。夜の緊急会見を控え、麻生氏と町村信孝官房長官を執務室に招いて伝えた辞意はむしろ「通告」に近い雰囲気だった。「総裁選をちゃんとやってください」。付け加えたその言葉には、麻生氏への禅譲否定の意味も込められていた。
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