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:2010:09/03/10:00 ++ 小菅物語首相の座争う2人(上)協調・決裂繰り返し―総決算の対決に。
民主党代表選で一騎打ちを演じる菅直人首相と小沢一郎前幹事長が初めて直接、相まみえたのは1998年の金融国会だった。当時の協調から決裂、成功と失敗の経緯が、2人の原点にある。
最初は金融国会
「私がよく例に出す、あの金融国会で小沢さんに『政局にしないのはおかしい』と言われたが、私の選択は間違っていなかった」。2日、日本記者クラブ討論会で菅氏は振り返った。金融国会には1日もふれている。小沢氏が菅氏を強く認識したのも、この時だったに違いない。
76年、ロッキード選挙で「田中角栄対菅直人」を掲げて菅氏が国政に初挑戦した時、既に小沢氏は田中元首相の秘蔵っ子として知られていた。自民党幹事長として47歳の小沢氏が権勢をふるった80年代末、42歳の菅氏はミニ政党の社会民主連合にいた。党派もキャリアも異なる2人が交わることはなかった。
98年、民主党代表と自由党党首として2人は「自民党打倒」で結びついた。小沢氏は午前2時、3時の党首会談もいとわず菅氏と足並みをそろえた。だが「自民党政権はいつでも倒せる」とみたのか、菅氏は金融再生法を与党に「丸のみ」させて矛をおさめた。菅氏の姿勢に、外からでは自民党を倒せないと判断した小沢氏は「中」から壊す戦略に転換した。自民党との連立である。
合併で再び接近
その後、菅氏も民主党も政権に手が届かない。「政策的には正しかった」と言いつつ、菅氏は小沢氏の手法を「政局的には正しいかもしれない」とも回想していた。政局は小沢氏が上手――。金融国会から5年、民主党と自由党の合併で2人は再び接近し「政権交代のシナリオ」と題した共著まで出した。自民党打倒へ、菅氏は「小沢流」の政局論に乗った。
それから一度は代表選を争ったものの、基本的に2人は鳩山由紀夫前首相を加えた「トロイカ体制」で手を携えてきた。小沢氏が趣味とする囲碁に、菅氏も本腰を入れた。薩摩藩の大久保利通が島津久光に近づくため、囲碁を始めたとされる故事に通じる。
幕末維新の歴史好きなど、2人には重なる部分も多い。菅氏が熱をこめる英国型の政治主導は、小沢氏が自民党を飛び出した際に出版した「日本改造計画」で日本の政界に広まった。今年3月の国会答弁で、菅氏は「議会制民主主義というのは期限を区切って、あるレベルの独裁を認めることだ」との政治観を国会で披露している。
鳩山内閣で副総理に就いた菅氏は「力があるんだよ」と漏らし、小沢氏への評価を変えなかった。周辺は「鳩山さんに何かあったら小沢さんの支持を得て政権をとるつもりだった」と語る。だが土壇場で菅氏は「脱小沢」にカジを切り、首相の座を射止めた。12年前とは逆に、菅氏からの決裂だった。
小沢氏とともに自民党を倒し「脱小沢」で首相になった菅氏と、初めて与党の党首選に出た小沢氏。3度目の巡り合いは、ともに政治生活の総決算になる。
最初は金融国会
「私がよく例に出す、あの金融国会で小沢さんに『政局にしないのはおかしい』と言われたが、私の選択は間違っていなかった」。2日、日本記者クラブ討論会で菅氏は振り返った。金融国会には1日もふれている。小沢氏が菅氏を強く認識したのも、この時だったに違いない。
76年、ロッキード選挙で「田中角栄対菅直人」を掲げて菅氏が国政に初挑戦した時、既に小沢氏は田中元首相の秘蔵っ子として知られていた。自民党幹事長として47歳の小沢氏が権勢をふるった80年代末、42歳の菅氏はミニ政党の社会民主連合にいた。党派もキャリアも異なる2人が交わることはなかった。
98年、民主党代表と自由党党首として2人は「自民党打倒」で結びついた。小沢氏は午前2時、3時の党首会談もいとわず菅氏と足並みをそろえた。だが「自民党政権はいつでも倒せる」とみたのか、菅氏は金融再生法を与党に「丸のみ」させて矛をおさめた。菅氏の姿勢に、外からでは自民党を倒せないと判断した小沢氏は「中」から壊す戦略に転換した。自民党との連立である。
合併で再び接近
その後、菅氏も民主党も政権に手が届かない。「政策的には正しかった」と言いつつ、菅氏は小沢氏の手法を「政局的には正しいかもしれない」とも回想していた。政局は小沢氏が上手――。金融国会から5年、民主党と自由党の合併で2人は再び接近し「政権交代のシナリオ」と題した共著まで出した。自民党打倒へ、菅氏は「小沢流」の政局論に乗った。
それから一度は代表選を争ったものの、基本的に2人は鳩山由紀夫前首相を加えた「トロイカ体制」で手を携えてきた。小沢氏が趣味とする囲碁に、菅氏も本腰を入れた。薩摩藩の大久保利通が島津久光に近づくため、囲碁を始めたとされる故事に通じる。
幕末維新の歴史好きなど、2人には重なる部分も多い。菅氏が熱をこめる英国型の政治主導は、小沢氏が自民党を飛び出した際に出版した「日本改造計画」で日本の政界に広まった。今年3月の国会答弁で、菅氏は「議会制民主主義というのは期限を区切って、あるレベルの独裁を認めることだ」との政治観を国会で披露している。
鳩山内閣で副総理に就いた菅氏は「力があるんだよ」と漏らし、小沢氏への評価を変えなかった。周辺は「鳩山さんに何かあったら小沢さんの支持を得て政権をとるつもりだった」と語る。だが土壇場で菅氏は「脱小沢」にカジを切り、首相の座を射止めた。12年前とは逆に、菅氏からの決裂だった。
小沢氏とともに自民党を倒し「脱小沢」で首相になった菅氏と、初めて与党の党首選に出た小沢氏。3度目の巡り合いは、ともに政治生活の総決算になる。
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