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:2011:05/02/13:03 ++ 新しい日本を創る(1)成長と連帯の旗を高く掲げよう(社説)
3月11日の東日本大震災で、日本の風景はがらりとかわった。戦後、われわれの祖父母や父母たちが営々として築きあげてきたものが、あっという間にこわされた。なおつづくフクシマへの対応で、日本の安全神話もあっけなく消しとんだ。
いまを生きるわれわれにとって、3・11は戦前と戦後をわける8・15に相当する歴史的な転換点だ。現在を「ポスト戦後」ととらえ、新しい日本を創るきっかけにすることが求められているのではないだろうか。日本創生への道筋を考えてみたい。
オールジャパンで再生
歴史をふりかえってみよう。1868年の明治維新から1945年の敗戦まで77年間におよんだ明治国家の目標とは、世界の列強に肩をならべることだった。富国強兵、殖産興業の旗のもと「坂の上の雲」をめざしてひたすら登っていった。
日清、日露、第1次大戦をへて、世界の一等国になる夢はかなえられた。ところが、そこから「坂の下の沼」に向けて真っ逆さまにころがりおちてゆき、8・15をむかえた。
戦後とは何だったのか。焼け跡闇市からぬけ出し、全国津々浦々まで、みんな等しく豊かになるのが国家の目標だった。
軽武装で経済重視の政策により高度成長を達成、一億総中流といわれる社会が実現した。公共事業と補助金による中央から地方への所得再分配を通じ、みんなで豊かになる政治をおしすすめたのが自民党だった。
ところが、米ソ冷戦構造がこわれ、経済がグローバル化していく中で、バブルが崩壊、「失われた10年」はいつのまにか「失われた20年」になってしまった。そして3・11をむかえた。1945年から66年目である。戦後にピリオドを打ち、新たな時代を切りひらくときだ。
被災地の復旧・復興にあたるのはもちろんだが、それにとどまらず、ここを新しい日本を築き上げていくチャンスと考えたい。増改築でなく、国の新築である。崩壊・破壊からの創造だ。新たな国家の目標は、日本再生となる。
そのためには、経済の成長が欠かせない。エネルギー政策を転換し、成長にこだわらない考え方もある。はたして、それでいいのだろうか。いまさら昭和20年代や30年代の生活にはもどれない。
1億2000万人の日本人がこの国で生活し、われわれの子や孫までが豊かで自由な国で生きていくためには、いま一度、成長の旗を高く掲げる必要があるだろう。大震災を踏まえた新たな成長戦略をおし進めなければならない。キーワードは成長である。
その場合、大事なことは国をあげてオールジャパンで取り組むことだ。古いことばでいえば、挙国一致である。政治が思惑優先で、駆け引きに明け暮れるのは、百害あって一利なしだ。与野党とも今回の大震災を国難というのなら、復旧・復興を急ぐため、これまでの政党の枠組みを超えた態勢をととのえるのは当たり前だろう。
政治家は官僚をうまく使わなければならない。政治主導の考え方は間違っていなかったとしても、官僚を排除し、官の力を動員できなくなったのは、民主党政権の運営の失敗である。
公助だけには頼れない
オールジャパンの体制づくりに向け、大震災で高まってきた新たな機運がある。経済社会のプレーヤーとしての個人の意識の変化だ。キーワードは連帯である。
自分の責任で自分自身でする自助、回りや地域が協力する共助、公的な機関が支援する公助――。この3助のうち、今回、共助の精神がいかんなく発揮された。困ったときにはお互い助け合い、困難を乗り切ろうとする連帯の精神である。
これまで、明治国家からつづく社会意識の根っこにあるのは、お上と下々の感覚だ。横並びで、もたれ合い、自立する精神の希薄さでもある。だから何かあれば、すぐに公助を求めてきた。もちろん公助も必要だが、いつまでも官に頼ってばかりではいられない。共助は、これからさらに進む少子高齢化社会を乗りきる切り札になる可能性もひめている。
明治も戦後も、国を開くきっかけとなったのは、外圧だった。こんどもまた、地震・津波という外からの入力である。内向きになるのではなく、世界の中の日本を改めて確認する必要がある。
ここで新しい日本を創ることができなければ、開国・維新で日本の独立を守り、敗戦で国破れた中からこの国をよみがえらせてきた先人たちの労苦に報いることができないばかりか、次の世代へのバトンタッチもかなわないだろう。
いまを生きるわれわれにとって、3・11は戦前と戦後をわける8・15に相当する歴史的な転換点だ。現在を「ポスト戦後」ととらえ、新しい日本を創るきっかけにすることが求められているのではないだろうか。日本創生への道筋を考えてみたい。
オールジャパンで再生
歴史をふりかえってみよう。1868年の明治維新から1945年の敗戦まで77年間におよんだ明治国家の目標とは、世界の列強に肩をならべることだった。富国強兵、殖産興業の旗のもと「坂の上の雲」をめざしてひたすら登っていった。
日清、日露、第1次大戦をへて、世界の一等国になる夢はかなえられた。ところが、そこから「坂の下の沼」に向けて真っ逆さまにころがりおちてゆき、8・15をむかえた。
戦後とは何だったのか。焼け跡闇市からぬけ出し、全国津々浦々まで、みんな等しく豊かになるのが国家の目標だった。
軽武装で経済重視の政策により高度成長を達成、一億総中流といわれる社会が実現した。公共事業と補助金による中央から地方への所得再分配を通じ、みんなで豊かになる政治をおしすすめたのが自民党だった。
ところが、米ソ冷戦構造がこわれ、経済がグローバル化していく中で、バブルが崩壊、「失われた10年」はいつのまにか「失われた20年」になってしまった。そして3・11をむかえた。1945年から66年目である。戦後にピリオドを打ち、新たな時代を切りひらくときだ。
被災地の復旧・復興にあたるのはもちろんだが、それにとどまらず、ここを新しい日本を築き上げていくチャンスと考えたい。増改築でなく、国の新築である。崩壊・破壊からの創造だ。新たな国家の目標は、日本再生となる。
そのためには、経済の成長が欠かせない。エネルギー政策を転換し、成長にこだわらない考え方もある。はたして、それでいいのだろうか。いまさら昭和20年代や30年代の生活にはもどれない。
1億2000万人の日本人がこの国で生活し、われわれの子や孫までが豊かで自由な国で生きていくためには、いま一度、成長の旗を高く掲げる必要があるだろう。大震災を踏まえた新たな成長戦略をおし進めなければならない。キーワードは成長である。
その場合、大事なことは国をあげてオールジャパンで取り組むことだ。古いことばでいえば、挙国一致である。政治が思惑優先で、駆け引きに明け暮れるのは、百害あって一利なしだ。与野党とも今回の大震災を国難というのなら、復旧・復興を急ぐため、これまでの政党の枠組みを超えた態勢をととのえるのは当たり前だろう。
政治家は官僚をうまく使わなければならない。政治主導の考え方は間違っていなかったとしても、官僚を排除し、官の力を動員できなくなったのは、民主党政権の運営の失敗である。
公助だけには頼れない
オールジャパンの体制づくりに向け、大震災で高まってきた新たな機運がある。経済社会のプレーヤーとしての個人の意識の変化だ。キーワードは連帯である。
自分の責任で自分自身でする自助、回りや地域が協力する共助、公的な機関が支援する公助――。この3助のうち、今回、共助の精神がいかんなく発揮された。困ったときにはお互い助け合い、困難を乗り切ろうとする連帯の精神である。
これまで、明治国家からつづく社会意識の根っこにあるのは、お上と下々の感覚だ。横並びで、もたれ合い、自立する精神の希薄さでもある。だから何かあれば、すぐに公助を求めてきた。もちろん公助も必要だが、いつまでも官に頼ってばかりではいられない。共助は、これからさらに進む少子高齢化社会を乗りきる切り札になる可能性もひめている。
明治も戦後も、国を開くきっかけとなったのは、外圧だった。こんどもまた、地震・津波という外からの入力である。内向きになるのではなく、世界の中の日本を改めて確認する必要がある。
ここで新しい日本を創ることができなければ、開国・維新で日本の独立を守り、敗戦で国破れた中からこの国をよみがえらせてきた先人たちの労苦に報いることができないばかりか、次の世代へのバトンタッチもかなわないだろう。
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