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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2009:07/23/11:17  ++  検証郵政解散後05~09(1)苦境に涙、党首流転―政権放棄覚悟に疑問符。

2005年夏の「郵政解散」に伴う衆院選から4年。首相を担う自民党総裁はこの間、小泉純一郎氏を含む計4人が目まぐるしく入れ替わり、野党第1党の民主党代表も三たび代わった。苦境に涙をこぼす党首も続出した。一国の政権を担うため争うはずの党首の座。衆院選では何よりトップの覚悟が問われる。
 「小泉純一郎が参りました」。06年8月5日午後、山口県萩市内を一望できる丘にある吉田松陰生家跡地。視察で訪れた当時の小泉首相は玄関跡で戸を開けるしぐさをして、頭を垂れた。同行者が「何を思ったのですか」と聞くと、小泉氏はつぶやいた。「やはり志の強さだな。松陰のように一身を賭す覚悟がないと政治はぐらぐらする。国がおかしくなる」
■改造直後の辞意
 指導者に強じんな精神力を求めた小泉氏の思いとは裏腹に、同氏が後継指名した安倍晋三氏は1年で政権を投げ出した。07年夏の参院選の自民党惨敗後に続投表明し、8月末に内閣改造に踏み切ってまもなくのことだ。
 「職を辞するべきと決意いたしました」。9月12日、首相官邸の記者会見室で辞任会見に臨んだ安倍氏の目には涙が浮かんでいた。「体調不良」が理由だった辞意表明は、海外での記者会見でインド洋での給油活動延長法案の成立に「職を賭していく」と意気込みをみせてからわずか3日後だった。
 安倍氏から首相を引き継いだ福田康夫氏は「ねじれ国会」に苦しんだ。08年4月9日、国会内で開かれた民主党の小沢一郎代表との党首討論。「かわいそうなくらい苦労しているんですよ」。福田氏は涙目で口元を震わせた。
 日銀総裁人事を巡って財務次官OBを充てる人事案を相次ぎ提示した福田氏だが、参院で多数を握る小沢民主党は不同意を連発。内閣支持率低迷もあり福田氏も08年8月の内閣改造から約1カ月半で政権を放り出した。
■民主にも「軽さ」
 一方、政権交代を掲げる民主党の代表も野党党首の「軽さ」が目立った。「問題が起こればすぐに辞めさせればいい。政権党の党首じゃないんだ」。岡田克也氏が衆院選敗退の責任を取って辞任した05年9月。党内実力者の小沢一郎氏は前原誠司氏の代表選出について同党の衆院議員に語った。
 小沢氏の言説通り、前原氏は「偽メール」問題によってわずか在任半年であえなく辞任。小沢氏は後任の代表に就任し、党を07年夏の参院選大勝に導いた。辞任会見で涙ぐむ安倍首相(当時)の様子をテレビでみて周辺に「政治家が自分のことで人前で泣くようでは終わりだ。加藤紘一氏もそうだった。そんなのは総理はできない」と指導者論を力説した。
 ただ、小沢氏は今年3月、西松建設の違法献金事件で自身の公設秘書が逮捕・起訴され、一転苦境に。同月の記者会見では「政権交代が最後の仕事だ」と涙を流しながら続投への理解を求めたが、結局5月に世論の批判の高まりにより辞任に追い込まれた。
 「一致団結して戦う以外ない」。21日の両院議員懇談会で自身のもとでの団結を訴えた麻生太郎首相の目は潤んでいた。鳩山由紀夫代表も6月30日の記者会見で自身の偽装献金問題について涙ぐみながら釈明した。衆院選は党首力の戦いとなるが、両者が苦境での「頼もしさ」をどれほど打ち出せるかも焦点となる。
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