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:2009:09/17/10:34 ++ 検証鳩山一郎政権(上)「小沢蜜月」どこまで――4度の会談人事動かす。
野党第1党からの政権交代を果たした民主党の鳩山由紀夫政権が16日、始動した。8月30日の衆院選圧勝後から、鳩山氏の人事を巡る発言は揺れ動いた。節目となったのは小沢一郎幹事長との4度の会談で、小沢氏と連携する参院民主党も影響力を行使した。「鳩山・一郎政権」の17日間を検証する。
「一気に首相指名後に決めるのが閣僚人事だ」 8月31日未明の記者会見。鳩山氏は政権発足まで閣僚人事は確定させないと断言した。すでにこの時点で火種はくすぶっていた。
「何のための幹部会だ。まず幹事長から決めろ」。会見の数時間前、鳩山氏と党執行部との幹部会で、輿石東参院議員会長は迫った。巨大勢力となった民主党を差配するのは幹事長ポスト。輿石氏の発言は、政権交代の原動力となった小沢氏の幹事長起用を早めに発表すべきだとの催促だった。
だが鳩山氏は幹事長を発表しない。党内には「岡田克也氏の留任か」との憶測も飛び交った。「閣僚にかわりはいるが、幹事長ができるのは一人しかいない。小沢幹事長だ」。再び、輿石氏は鳩山氏に促した。9月3日夜、鳩山氏は小沢氏に幹事長就任を要請した。会談は予定から2時間遅れ、10分間で終わった。「これでいいですか」と鳩山氏は輿石氏に電話した。
「党務は幹事長にしっかりやってもらいますと申し上げた」「一任するのではなくて、案を任せたいということだ」
5日。2度目の小沢氏との会談後、鳩山氏は記者団に語った。だが小沢氏はその2時間前、記者団に「国会や党のことについては、人事も含めて幹事長に任せるからしっかりやってくれ、という結論だ」と表明していた。2人の発言は微妙に食い違った。
国会の常任委員長や党の役職は内閣の人事と切り離せない。国会・党の人事一任は、閣僚人事の主導権も事実上、小沢氏が握ると党内の多数が受け止めた。菅直人国家戦略担当相、岡田外相は内定したが、藤井裕久財務相は確定しなかった。「小沢氏側が難色を示しているのでは」との疑心暗鬼がうず巻いた。
当の小沢氏が7日、連合幹部との会合で話したのは、選挙のことばかりだった。
「15日になってしまう」 10日、鳩山氏は3たび小沢氏と会談した後、12日までに固めるとしてきた人事が遅れると発言した。この直前、自らを支持するグループとの会合では「小沢さん、菅さん、岡田さんの人事以外は伝えていない」「皆さんには我慢してほしい」と胸のうちを明かした。小沢氏の意向を忖度(そんたく)したのか、調整は遅々として進まなかった。
「一部、話を申し上げて理解をいただいた」 組閣が翌々日に迫った14日、鳩山氏は小沢氏と4度目の会談に臨んだ。会談時間は12分。ようやく「藤井財務相」が確定した。
翌15日夜。小沢氏は都内のホテルにある日本料理店で労組幹部と会食した。「内閣には好きなところをとっていいと言ったんだ」と人事を振り返った小沢氏は「いまだに国家戦略局が何をするのか分からない」とも語ったという。
小沢氏と連携し、連合が基盤でもある参院は3人の閣僚を送り込んだ。労組幹部は「小沢さんが政策に関与しないとは、何も分かっていない人が言うことだ。法案の生殺与奪の権は、国会で小沢さんが握っている」とみる。
「久しぶりだなあ」。16日、小沢氏は国会2階で民主党幹事長室になる予定の部屋に足を運び、つぶやいた。20年前、47歳で自民党幹事長に就任して「剛腕」と名をはせ、執務したのと同じ場所である。入り口には、まだ「自由民主党」の表札がかかっていた。
「一気に首相指名後に決めるのが閣僚人事だ」 8月31日未明の記者会見。鳩山氏は政権発足まで閣僚人事は確定させないと断言した。すでにこの時点で火種はくすぶっていた。
「何のための幹部会だ。まず幹事長から決めろ」。会見の数時間前、鳩山氏と党執行部との幹部会で、輿石東参院議員会長は迫った。巨大勢力となった民主党を差配するのは幹事長ポスト。輿石氏の発言は、政権交代の原動力となった小沢氏の幹事長起用を早めに発表すべきだとの催促だった。
だが鳩山氏は幹事長を発表しない。党内には「岡田克也氏の留任か」との憶測も飛び交った。「閣僚にかわりはいるが、幹事長ができるのは一人しかいない。小沢幹事長だ」。再び、輿石氏は鳩山氏に促した。9月3日夜、鳩山氏は小沢氏に幹事長就任を要請した。会談は予定から2時間遅れ、10分間で終わった。「これでいいですか」と鳩山氏は輿石氏に電話した。
「党務は幹事長にしっかりやってもらいますと申し上げた」「一任するのではなくて、案を任せたいということだ」
5日。2度目の小沢氏との会談後、鳩山氏は記者団に語った。だが小沢氏はその2時間前、記者団に「国会や党のことについては、人事も含めて幹事長に任せるからしっかりやってくれ、という結論だ」と表明していた。2人の発言は微妙に食い違った。
国会の常任委員長や党の役職は内閣の人事と切り離せない。国会・党の人事一任は、閣僚人事の主導権も事実上、小沢氏が握ると党内の多数が受け止めた。菅直人国家戦略担当相、岡田外相は内定したが、藤井裕久財務相は確定しなかった。「小沢氏側が難色を示しているのでは」との疑心暗鬼がうず巻いた。
当の小沢氏が7日、連合幹部との会合で話したのは、選挙のことばかりだった。
「15日になってしまう」 10日、鳩山氏は3たび小沢氏と会談した後、12日までに固めるとしてきた人事が遅れると発言した。この直前、自らを支持するグループとの会合では「小沢さん、菅さん、岡田さんの人事以外は伝えていない」「皆さんには我慢してほしい」と胸のうちを明かした。小沢氏の意向を忖度(そんたく)したのか、調整は遅々として進まなかった。
「一部、話を申し上げて理解をいただいた」 組閣が翌々日に迫った14日、鳩山氏は小沢氏と4度目の会談に臨んだ。会談時間は12分。ようやく「藤井財務相」が確定した。
翌15日夜。小沢氏は都内のホテルにある日本料理店で労組幹部と会食した。「内閣には好きなところをとっていいと言ったんだ」と人事を振り返った小沢氏は「いまだに国家戦略局が何をするのか分からない」とも語ったという。
小沢氏と連携し、連合が基盤でもある参院は3人の閣僚を送り込んだ。労組幹部は「小沢さんが政策に関与しないとは、何も分かっていない人が言うことだ。法案の生殺与奪の権は、国会で小沢さんが握っている」とみる。
「久しぶりだなあ」。16日、小沢氏は国会2階で民主党幹事長室になる予定の部屋に足を運び、つぶやいた。20年前、47歳で自民党幹事長に就任して「剛腕」と名をはせ、執務したのと同じ場所である。入り口には、まだ「自由民主党」の表札がかかっていた。
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