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:2009:08/12/11:01 ++ 第1部前夜(1)平成デモクラシー胎動――一票が一時代を画す(政権)
与党と野党が真っ向からぶつかる今度の衆院選は、国のありようを大きく変える転機かもしれない。政権とは何か。新政権のもとで日本はどうなるのか。
16年前、野党になってもびくともしなかった「自民党王国」の茨城県がぐらついている。自民党が生まれた1955年に県議になり、今も県連会長として県政を動かす山口武平(88)に県医師会が弓を引いた。
「今の社会や医療のしくみは自民党がつくった。なのに責任は別だという」と県医師会会長の原中勝征(69)は怒っている。診療所から自民のポスターが消え民主のポスターは候補者の隣に原中の写真が並ぶ。
官僚たちも自民党から離れ始めた。千葉9区で元郵政官僚が民主党から立つ。しかも郵便局長たちと旧社会党系の労働組合員が労使相乗りで応援している。
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今回の衆院選で霞が関の役所をやめて立つ新人候補は自民6人に対し民主が12人と2倍。年齢は民主の方が平均で10歳以上若い。
自民が民主に敗れた7月の地方選では投票率が急上昇した。静岡県知事選は16・5ポイント、東京都議選は10・5ポイント上がった。自民は医師会、郵便局、官僚などの支えを失い、無党派の逆風まで吹いている。こんなことはこれまでなかった。
「国会議事堂に赤旗を立てさせるなと言えば票が集まった」と自民党元幹事長の加藤紘一(70)はいう。
自民党がおかしくなり始めたのは、ベルリンの壁が崩れ、バブル経済が頂点を迎えつつあった89年ごろからだ。「反共」は役割を終え、経済成長の分け前を広く配ることも難しくなった。自民はその年の参院選で過半数割れ。93年衆院選は223議席で第1党だったが、細川内閣に政権を譲って野党になってしまう。
力をたちまち失った自民党は長年の敵、社会党と手を組んで94年に政権を奪い返す。それから15年。自民党は今、55年の結党以来初めて衆院第1党の座を民主党に脅かされている。
二大政党による政権交代のモデルは米英だ。「(保守党の)チャーチルが出てきたのは国がピンチの時。戦争が済んだらもう結構、ハイさようならになっちゃった」(元首相の故宮沢喜一)。英国の有権者は労働党を選んで戦争の時代に区切りをつけた。金融危機と泥沼のイラク戦争に苦しんだ米国は昨年、上院議員1期の経験しかないバラク・オバマ(48)を初の黒人大統領に押し上げた。
米大統領選で激戦州の中の激戦区だったネバダ州リノ。民主党選対の幹部を務めた弁護士のクリス・ウィッカー(56)は「60年代以来、四十数年ぶりで民主党に登録した有権者が共和党を上回った」「まるでケネディ政権への熱狂のようだった」と振り返る。
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米英は政権を代えて国の危機を乗り越える。使命を終えれば、次の政党の出番だ。米国の政権交代は220年間で22回。米民主党と英労働党は分配を重んじ、米共和党と英保守党は小さな政府。違いも大きい。
「郵政民営化なくして小さな政府なし」。4年前の衆院選で元首相の小泉純一郎(67)は叫んだ。だが、首相で自民党総裁の麻生太郎(68)は「100年に1度の経済危機だ」と言って「小さな政府」という言葉をマニフェスト(政権公約)から消した。鳩山由紀夫(62)が率いる民主党も外交・安全保障や貿易政策、成長戦略などで主張がふらふらしている。
大正デモクラシーと呼ばれた戦前の民主主義。政友会、民政党による二大政党制は昭和恐慌や軍部の台頭で短命に終わった。平成デモクラシーは胎動を始めたのか。有権者の一票が行方を決める
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