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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2010:09/15/10:11  ++  菅首相民主代表に再選―夢を語る祭りは終わった。

素朴な疑問が残る。果たして何のための代表選だったのだろう。政権交代から1年余りがたった。しかし、民主党による新しい政治は、まだ何の成果も上げていない。党内の多数派工作に終始したこの代表選で、新しいものが始まるかもしれないという高揚感もない。
 結果的には大差がついたが、党員・サポーター票を入れない議員だけの代表選びだったなら、「小沢一郎政権」が生まれていたかもしれない。
 小沢氏は昨年の衆院総選挙を前に、政治資金問題が取りざたされて代表を退き、後を継いだ鳩山由紀夫氏が政権交代を実現した。その鳩山政権は迷走に迷走を重ね、最後は「政治とカネ」を理由に、幹事長の小沢氏とともに政権を投げ出した。
「反小沢」で判断
 わずか3カ月後、当の小沢、鳩山両氏が手を携えて政治の表舞台に立ち、菅首相に主役交代を迫った構図には、違和感を覚えざるをえない。
 この違和感が菅首相にとって、唯一の追い風となった。実のところ、首相はこの3カ月、代表再選しか念頭にないかのようだった。鳩山政権から引き継いだ負の遺産ともいうべき内政、外交の停滞に手をつけることもなく、デフレ下の円高・株安問題にも背を向け、代表選に影響しそうな困難な政治決断はすべて先送りしてきた。
 にもかかわらず、世論が菅氏を支持し、これに敏感な党員票が圧倒的な勢いで菅氏に流れたのは「反小沢」という判断基準があったからである。
 振り返ってみれば、昨年の政権交代は、民主党への期待というよりも、長く政権にあった自民党への嫌悪の要素が濃かった。今度もまた、「小沢か反小沢か」の選択になった構図は、永田町の見飽きた風景というほかはない。
 小沢氏は「首相になろうと思えば、あの時、なれた」が口癖だそうだ。19年前、1991年の「ポスト海部」選びで、当時の最高実力者だった金丸信氏が派閥ごと小沢氏にすべてを譲ろうとした時のことである。
 そのころは「首相になろうと思えばいつでもなれる」と思っていたかもしれない小沢氏が、次に政権取りを目指すには、いくつもの破壊と創造が必要だった。
 この繰り返しは今回で終わるのだろうか。選挙戦では「最後のご奉公」といい、「たいまつを次の世代に引き継ぐ」とケネディ米元大統領の名演説を借用して決意を述べた。
問われる実行力
 代表再選によって菅政権が安定する保証はない。むしろ、国会でも政策でも立ち往生する場面が容易に想像できる。所属議員の過半に近い支持を得た小沢氏が、もう一度、権力の中枢に戻るのかどうかは、菅政権の行方にかかっている。
 14日の最終スピーチ。菅、小沢両氏が同様に語ったのは「私には夢がある」のフレーズだった。米国の黒人公民権運動の指導者、キング牧師の歴史的な演説を想起させる。
 政治家が夢を語るのは大切なことだ。が、「夢物語」とか「夢想」のたぐいにくくられる夢もある。さめてみれば、はかないだけの夢もある。
 両氏、とりわけこの困難な時期の国政を担う菅首相が問われているのは、「夢」の中身と、その実行力だ。
 有権者も政治に「夢」をもちたい。だからこそ、民主党に政権を託したのに、寝ざめの悪い朝が明けつつある。
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