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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2009:07/13/12:14  ++  鴻毛のごとく軽い総理の座―支えるシステムが必要(核心)

テレビのニュースが首相と首相番記者のやりとりを伝えていた。
 記者「自民党に麻生降ろしの動きが広がっているようですね」
 首相「知っています」
 国家運営の最高責任者と記者たちの間で、このような会話が日常的に交わされている国は日本以外にはない。
 まるで庭掃除をしている隣のおじさんに話しかけるようにして、気軽に首相退陣を話題にする。当然の義務であるかのごとくそれに答える首相。これは遠慮なく権力者に斬(き)り込んでゆくわが国のメディアの水準の高さなどという話では決してない。一国の首相を侮辱するような質問をすることがジャーナリズムだと錯覚しているだけのことだ。何の緊張感もなくこのような質問が発せられ、ゆがんだ表情で答える一国の政治指導者の姿が、映像で世界に発信される。
 内閣総理大臣の座が、鴻(こう)毛のごとく軽くなっていることだけは間違いない。「総理の座」を軽くしてしまったのは、マスメディアばかりではもちろんない。毎年交代する首相自身と、その人物をリーダーに選んだ政党の責任も大きい。昨年9月の総裁選で自民党の衆参国会議員386人のうち56%の217人が「麻生太郎」に投票している。もし麻生首相で総選挙が戦えないといまになっていうのなら、指導力の欠如を見抜けなかった組織としての不明を恥じるべきである。
 テレビが政治に影響を与える「テレポリティクスの時代」にわが国も突入したといわれて久しいが、ここにきて衆愚政治極まれりの感がある。政党はどうすれば選挙に勝てるかだけを基準にすべてを考える。だれならば人気を呼びそうか、票を獲得できそうか、だけの単純な価値観で動いている。「政権交代」を唯一最大の目標に掲げる民主党に対抗するため、自民党はいかにすれば政権を失わずに済むかだけで右往左往する。
 民主主義の時代なのだから、だれが首相をめざそうと勝手だ。しかしながら、総理大臣をめざしていい人と、めざすべきではない人がおのずといるはずである。わらをもつかむ思いで出馬要請をしたのだろうが、それを逆手にとられ、総裁候補うんぬんという話をされてしまう。まだ国会議員でも自民党員でもない人物に「私を総裁候補にする覚悟があるか」などと居直られるのは、明らかに足元を見られたためだ。
 いかなる職業やポストにも積み重ねた経験や見識が必要だ。知事を1年半つとめたばかりの人に国政転出を政党が勧めるのはどういう了見か。麻生首相では衆院総選挙は戦えない、という声は一段と強まるだろう。ならば、だれならば戦えるのか。顔を変えれば、まだ多くの人々が自民党を支持してくれるとでも考えているのだろうか。多くの国民は、“4番打者”ばかり並べて負け込んだ一時の巨人軍のような自民党の体質そのものに抵抗を感じているのである。
 国民の政治を見る目は、それほど複雑ではない。ただ一点、政党や政治家の言動がうそ臭いかどうかを見つめているのである。顔の売れている人物を党の顔にする。これほどうそ臭いものはない。どの政党が政権の座に就くか、というのは政治家が考えるほど国民は意識していない。ほんとうの政治、国民のためになりそうな政治をするかどうかを見ているのである。
 政治指導者の資質や、メディアとの関係、あるいは国民との距離などという問題は、先進諸国に共通したもののようである。国内政治が国内にとどまらず、限りなくグローバル化する中での民主主義の限界、政治情報が公開される度合いが強ければ強いほど、政治への不信感が拡大するという傾向。そうしたなかでいま必要なのは、国家運営の最高責任者を支えるしっかりとしたシステムをつくることだ。いかに優れた人物でも、裸同然でメディアの監視にさらされたら、ひとたまりもない。
 政治指導者が決断をためらったり、右往左往している姿が外から見えてしまうのがわが国の現状である。まわりが支える態勢になっていればまだしも、足の引っ張り合いでは国家の運営などおぼつかない。指導者にもっとも必要なのは、自分よりもすぐれた人材をまわりに配する事だといわれる。大事なことは指導者個人だけではなく、そのシステムそのものなのである。
 そこを考えないと、民主党政権ができてもまたぞろ1年ごとに首相が変わるということの繰り返しになる。立派な政治家はなぜ出てこないのか、などとないものねだりをするよりも、凡庸な人物でもつとまるような国家運営のシステムをつくるべきである。「裸の王様」の政治指導者に衣服を着せなければならない。
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