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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2011:08/26/10:37  ++  特集――菅政権の1年3ヵ月、揺れた政権枠組み、大連立も頓挫。

民主党は昨年7月の参院選で大敗し、参院で与党が過半数割れした「逆転国会」に直面した。首相は安定した政権枠組みを求めて揺れた。
 首相が参院選後、最初に提唱したのは、個別の政策ごとに連携する「部分連合」だったが、野党の反発を招く。それでも首相が9月の党代表選で小沢一郎元代表を破り、内閣支持率が上向くと、野党にも「小沢抜き」の連携機運が生じた。首相と執行部は公明党との協力に照準を絞る。
□  □
 シナリオは景気対策の補正予算を秋の臨時国会に提出し、公明党の協力を得て成立させるというもの。首相も公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長が設立した「東京富士美術館」を訪れ、秋波を送った。
 公明党・創価学会の選択は対決路線だった。内閣支持率は再び低下し、信頼できる人脈もなく、今年春には統一地方選が控えていたためだ。
 12月以降、首相は衆院で再可決が可能になる「3分の2」以上の確保を模索する。まず鳩山政権で連立を組んだ社民党に声をかけたが、沖縄問題で頓挫した。たちあがれ日本の平沼赳夫代表への入閣要請も断られた。最後は今年1月の内閣改造で、たちあがれ日本を離党した無所属の与謝野馨氏を入閣させたが、同党はもちろん、かつて与謝野氏を除名した自民党の神経も逆なでした。
 自民党は民主党攻撃を強め、外国人献金問題で追及を受けた前原誠司外相が3月に辞任。首相自身の献金問題も発覚したが、東日本大震災の発生でうやむやになった。
□  □
 震災復旧と原発事故対応を機に、首相は自民党との大連立を思いつく。しかし、首相が電話で自民党の谷垣禎一総裁に入閣を要請したことなどで、すぐに失敗する。
 この後、岡田克也幹事長ら民主党執行部は震災対応の協議を通じ、自民、公明両党と複線的なパイプづくりを続けた。岡田氏は自民党の石原伸晃幹事長、玄葉光一郎政調会長は石破茂政調会長と連絡を密にした。
 「自民党執行部は参院を制御できない」。首相は自民党を疑い続けた。通常国会の延長幅を巡っては、岡田氏が自公両党と合意した50日間を首相が覆し、70日間に改めた。復興基本法成立に伴う人事では、参院自民党から浜田和幸氏を総務政務官に一本釣り。岡田氏はその都度、頭を下げて回った。
 岡田氏の努力が実ったのは8月9日。民自公3党幹事長が赤字国債発行法案の成立で合意、退陣条件が整ったのだ。岡田氏は「新しい体制で公明党や自民党と色々な形で協力関係を深めていく礎になる」と胸を張った。ただ、早期の衆院解散・総選挙を期待する自民党からは「協力できるのは秋の臨時国会で、今年度第3次補正予算案が成立するまで」との声も漏れる。

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