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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2007:09/25/12:31  ++  【首相交代】(中)謀略説を否定した安倍首相の「真意」

東京・信濃町の慶応病院総合科学研究棟1階の会議室。12日ぶりに公の場に姿を現した首相、安倍晋三に保守派論客として鳴らした絶頂期の面影は消えていた。

 「所信表明直後という最悪のタイミングに辞意表明したことを深くおわび申し上げます。辞任を決意した最大の要因である体調の変化を触れず非常に申し訳なかった…」

 髪を整え、濃紺のスーツに身を包んでいたが、やせたためにワイシャツの首元は緩み、言葉は途切れがちだった。

 安倍がこれほどやつれた姿をカメラにさらしたのは、25日の国会の首相指名を前に国民に「おわび」したかったことが最大の理由だが、実はもう1つあった。

 総裁選中に流された前幹事長の麻生太郎、官房長官の与謝野馨に向けられた「謀略情報」を否定するためだった。元首相の森喜朗の制止を振り切っての決断だった。

 「麻生は安倍を続投させ、次期総裁への足場を築こうとした」「安倍は辞任直前に『麻生にだまされた』と漏らした」-。

 このような情報は新総裁の福田康夫が出馬を決めた13日夜に突然流れ始めた。これを知った麻生は当初、「誰がそんなくだらないウソを…」と取り合わなかったが、情報の出所を知り、耳を疑った。安倍と親しい町村派幹部だったからだ。

 麻生は14日午後、総裁選の報告をかねて、安倍の見舞いに病院を訪れた。自らの窮状を訴えたい思いもあったが、やつれ果てた安倍の姿を見て言葉を飲み込んだ。「おれは首相がこれほどの病を我慢して頑張ってきたことに気づかなかったのか。本当に申し訳ないことをした」。謀略情報で麻生が反撃すれば、安倍を傷付けることにもなりかねない。こう考えた麻生は一切のデマに口をつぐむようになった。

 謀略情報は与謝野にも及んだ。「麻生と与謝野は安倍をカヤの外に置き、勝手な人事を推し進めた」。温厚な与謝野もこれには激高した。

 18日午前、首相不在で開かれた閣僚懇談会後、与謝野は外相の町村信孝を呼び止めた。

 与謝野「町村派がとんでもないウソを流している。知ってて止めないならばあなたも同罪だ!」

 町村「誰のことを言っているんだ」

 与謝野「言われなくても分かるだろう」

 入院後、1週間は点滴だけで栄養をとっていた安倍だが、次第に容体は安定し、総裁選の情報もジワジワと耳に入るようになってきた。「麻生さんに申し訳ないことをした」。安倍は周囲にこう漏らしたという。

 記者会見の最後に、「麻生・与謝野謀略説」を問われた安倍はきっぱりとこう言った。

 「そういう事実はまったくありません。麻生氏も与謝野氏も本当によくやっていただいた。感謝しています」

 その厳しい目つきには、病に倒れたがゆえに自らの政治路線を自民党に否定された無念さがにじみ出ていた。

   × × ×

 「チーム自民党が一丸となって、この難局を乗り切りたい」

 安倍首相の会見に先立つ24日正午。自民党本部6階で開かれた臨時総務会では、総務ら約30人に総立ちで迎えられた新総裁の福田康夫がにこやかにこう切り出した。

 福田に指名された新幹事長の伊吹文明は、満面の笑みで「『チーム安倍』ではなく『チーム自民党』です」と安倍政権を皮肉った。

 福田は、党則を変え、「党三役」を「党四役」にし、選対総局長に代わる選対委員長に古賀誠が就任することを説明。古賀の笑顔に対し、再任された総務会長の二階俊博は最後まで仏頂面を崩さなかった。

 「党の重要な仕事をやっていただきたい」

 福田が、伊吹や二階らに電話で新役員への就任要請したのは、23日午後11時ごろ。福田はポストまでは明言しなかったが、念頭にあったのは二階が選対総局長、古賀が総務会長だった。

 ところが、24日午前、4人が党本部4階の総裁室に入って約1時間半の間に古賀、二階の人事はひっくり返った。二階の仏頂面の理由はここにある。総裁室から出た古賀は、「自分で言うのもおかしいが、『選挙は自分が一番適任だ』と総裁に申し上げた。まあ私の希望だ」と語った。

 福田擁立の立役者であり、福田周辺から幹事長職を打診されていた古賀にとって、総務会長は納得できる役職ではなかった。総務会は自民党の最高意思決定機関だが、日常業務で実権は少ない。党務にたけた古賀はそれを熟知しており、「かつての総務会は全会一致だったが、最近は多数決になったから総務会長も飾りみたいなものだ」と周囲に明言していた。次期衆院選に向け、党務全般を取り仕切る幹事長に比べ、総務会長は「飾り」に映ったのかもしれない。

 その点、選対総局長は格落ちだが、選挙対策の実務を取り仕切る仕事だ。古賀は「名より実」を選んだわけである。

 福田は古賀の要望を全面的に受け入れ、総裁直属機関の選対委員長として格上げした。党四役入りするため、警護官(SP)もつくことになる。

 この決定を聞いた閣僚経験者は「総裁直属機関ということは幹事長の意向も無視できる。しかもゴネ得を許してしまった。各派領袖はますますゴネ出すぞ。福田は就任早々大変なミスをしてしまった」とつぶやいた。

 古賀は総務会後、伊吹や二階らに「選挙はみんなでやることだから協力をお願いします」と頭を下げたが、この言葉に1人は「さっそく命令する気か」と憤慨した。政権のきしみは早くも始まっている。(敬称略)

(2007/09/24 23:19)

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