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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2009:03/17/09:29  ++  日立トップ事実上引責、業績悪化で「続投」撤回、長期低迷、財務も弱体化。

日立製作所が十六日発表したトップ交代は庄山悦彦会長(73)と古川一夫社長(62)が事実上引責辞任し、グループ会社に転じていた元副社長の川村隆氏(69)を本体の会長兼社長に呼び戻す異例の人事となる。古川氏らは二月初めにいったん「続投」を決めていたが、業績悪化で撤回を余儀なくされた。川村氏は日立本体を重電などの安定事業に集中させることで立て直しを狙うが、長期の業績低迷で、かつての強みだった財務基盤は弱体化。経営再建は文字通り「後のない」戦いとなる。(1面参照)
 「二〇〇九年度の業績もかなり厳しく、人心一新で再建を目指したい」。十六日夕の記者会見で古川社長は突然の交代の理由をこう説明した。
3年で社長退任
 同社は二月三日に四月一日からの経営体制をすでに発表ずみだった。執行役のトップとして古川社長が続投し、四人の副社長が支える体制。この時点で「(新体制への移行は)まったく考えていなかった」(古川社長)が、わずか一カ月半弱で翻意を余儀なくされ、自らも歴代最短となる就任三年で社長を退くことになった。
 背中を押したのは急速な経営環境の悪化だ。〇九年度予算を策定する二月末以降になって新年度も業績が極めて厳しいことが判明、「社内から経営責任を追及する声が高まった」(日立関係者)という。「庄山会長と相談し、人心一新が必要と判断した」と古川社長は説明する。
 庄山氏が社長の時代に日立本体の副社長を務め、現在はグループ上場会社の日立プラントテクノロジーと日立マクセルの会長を務める川村氏は古川現社長より七歳上。さらにかつての庄山社長体制を同じく役員として支え、現在はグループ会社に転じている八丁地隆氏(62)と三好崇司氏(61)も四月一日付で日立本体の副社長に戻す。
時計の針を戻す
 「若返りの時代にベテランで臨み、昔の強みを戻す」。庄山会長は今回の人事をこう説明した。それは過去十年が日立にとっての「失われた時代」だったことを実質的に認め、時計の針を元に戻す動きともいえる。
 一九九九年に社長に就任した庄山氏は二〇〇三年、二千五百億円を投じて米IBMからハードディスク駆動装置(HDD)事業を買収。〇五年には松下電器産業(現パナソニック)、東芝と共同で液晶パネルの製造会社「IPSアルファテクノロジ」を設立した。これらの事業がその後、日立の業績の足を引っ張り、〇七年度までの赤字の大きな原因となった。
 〇六年に社長になった古川氏は赤字事業の構造改革を進めたものの経営資源を振り向けた自動車部品事業が未曽有の不況で失速。「今期は単体ベースで二千八百億円の売上高ながら、数百億円規模の営業赤字となる見通し」(幹部)という。
 庄山氏が社長になって以降、〇九年三月期までの十年間の連結最終損益を合算すると一兆円を超す赤字。その結果、十年前に三〇%近くあった自己資本比率は〇八年十二月末に一七・四%に下がり、かつての強みだった財務基盤は大幅に弱まった。「物静かで目立つタイプではない」(日立OB)と評され、経営手腕も未知数の川村氏に残された時間は多くない。
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