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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2007:12/11/09:45  ++  【やばいぞ日本】第5部 再生への処方箋(2)心意気の起業が実を結んだ

米国の金融機関のどこも見向きもしなかった移民労働者向けの送金サービスのビジネスモデルをつくりあげた日本人がいる。枋迫篤昌(とちさこ・あつまさ)氏、54歳。

 「マイクロ(ごく小さな)」という名の通り、全世界の移民労働者とその家族に低利の少額無担保金融サービスを提供する「マイクロファイナンス」(MFIC)社長だ。

 ハーバード・ビジネススクールは来年2月、MFICを「国際起業コース」の教材として取り上げることにした。有力誌「アメリカン・バンカー」は6月、「MFICは送金ビジネスを一変させようとしている」と報じた。

 注目されているのは、これまで金融システムから排除されてきた3000万人以上にのぼる中南米系移民に徹底的に報いようという「枋迫モデル」だ。

 移民労働者の大半は銀行口座を持たない。現金でその日を暮らし、残る現金を国元の家族に送る。既存の送金業者は窓口を防弾ガラスと鉄格子でふさぎ、15%もの送金手数料をとる。地元で待つ妻は米ドルをメキシコ・ペソへ両替する為替手数料などで、さらに20%を費やす。200ドル送っても、家族には130ドルしか残らない。

 ところが枋迫モデルは、200ドルの送金手数料を3・5%に設定した。店と顧客を仕切るのはただのカウンターしかない。無担保小口融資もその一つだ。

 記者は首都ワシントンの中南米系居住区にあるMFICの店舗を訪ね、こんな利用者の声を聞いた。「私たちはこの国で初めて人間らしい扱いを受けた」(ボリビア人)、「ハリケーンで家を失った親戚(しんせき)のための資金を融資してくれた」(グアテマラ人)…。

 枋迫氏とは何者か。話は20年以上さかのぼる。東京銀行(当時、現三菱東京UFJ銀行)行員の枋迫氏のもとにメキシコ・インディオの行商人ホセさんから1通のはがきが届いた。

 「セニョール、『いつまた来るのか』と、あなたに尋ねたあの子は亡くなりました」

 枋迫氏は1979年、27歳の時、メキシコの古都グアナファトにスペイン語研修で留学していた。ホセさんとは道端で辞書片手にスペイン語で会話するうちに親しくなり家に招かれた。岩だらけの山の中腹、ワラで覆った小さな家。椅子(いす)代わりの岩に腰掛けると、スープやトルティーヤ(ひいたトウモロコシから作るメキシコの薄焼きパン)が出され、男の子3人を入れた家族全員と一緒に楽しんだ。

 山を下りようとすると、3歳の末の男の子が「帰らないで」と袖を引く。「だっておじさんがいるから半年ぶりでお肉が食べられたんだよ」と澄んだ大きな目で訴える。「そうか、スープに浮かぶ黒ずんだ紙切れのようなものが」と絶句した。

 自身の少年期が脳裏に浮かんだ。広島・尾道の田舎道を1時間かけてかよい通した幼稚園。小学校の給食代金袋を、母の背中を見て、出しそびれた。看護婦だった母親は「他人を外見だけで判断するものではありませんよ」とさとした。傷痍(しょうい)軍人の父親からは規律を教わった。

 同志社大から旧東銀に入行した枋迫氏は、貧しいインディオの家が点在する道すがら、こう思い立った。「底辺の人々のためになる金融サービスはできないものか」。少年の死を知って決意はいよいよ固まった。

 2003年、枋迫氏がワシントンでMFICを立ち上げたとき、応援したのは彼の心意気に感じた日本人たちであった。

                   ◇

 ■「底辺の人たち助けたい」

 MFICへの出資者約110人のうち100人は日本人であった。出資金940万ドルのうち、870万ドルを占める。

 その一人、杉崎重光元国際通貨基金(IMF)副専務理事は「みんな枋迫氏の男のロマンについていこうと思った」と言う。

 「オイルマネー」で知られるアラブ首長国連邦(UAE)の外国為替送金公社の首脳はこう語った。

 「MFICのビジネスモデルはいかにも日本人らしい。戦争に敗れてすべて失ったのに、一個人も一企業も少しずつみんなおカネを集めて共存し見事に復興した。ぜひ、当方にも投資させてください」

 銀行、企業、官庁の主導で日本は高度成長を遂げたがバブル崩壊で大きくつまずいた。

 しかし、個々人に高い志を実行に移す決意があれば、他の日本人が呼応する。それが国際的に日本の価値を認めさせる。そんな力を日本人が失ってはいないことを枋迫氏の挑戦が示している。

 しかも、その挑戦は「縄張り」に食い込むことであった。MFICの主力事業の移民向け小口送金サービスについて、米国では大手の「ウエスタン・ユニオン(WU)」などの独壇場とされていた。WUはワシントンで強大な政治的影響力を持っていた。

 まさに巨人に立ち向かう大冒険といえるが、枋迫氏は「米金融界に受け入れられるため、まずワシントンの常識を身に付ける必要がある」と考えたという。

 創業する前にジョージ・ワシントン大学の経営管理学修士(MBA)夜間コースに通い、1年半でMBAを取得した。

 2003年のMFIC立ち上げ時には金融界の重鎮、ボルカー元米連邦準備制度理事会(FRB)議長にビジネスモデルを説明し、ボルカー氏の推薦でIMFなどの民間諮問機関「ブレトンウッズ委員会」の創設者グループの一員、J・オア氏をMFICの会長に迎えた。

 海外送金は、米中枢同時テロの「9・11」後に制定された「愛国者法」により、厳しくチェックされるが、オア氏は米議会の公聴会でMFICの送金システムの安全性を証言した。

 米国での移民労働者の融資潜在市場規模は年間で750億ドルにも上る。

 「私もいわば関西人。もったいないですよね」

 枋迫氏は無担保小口融資の発想を説明し、「相手の目を見ながら返済能力を見切るのが金融の王道」とも語る。

 固定客は9店舗、合計約5万人で、焦げ付いて償却せざるをえなかった割合は1・2%。約7%といわれる日本の消費者金融に比べて数段よい。

 米国での住宅バブル崩壊とともにつぶれた低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)との違いは鮮明だ。

 しかもMFICは送金決済ネットワークを独り占めにせず、広く世界の金融機関に開放した。同システムを導入した金融機関の数は急増を続け、最近時点では世界の90カ国、約3万の拠点がMFICシステムのネットで相互に結ばれた。

 途上国住民の10人のうち1人が移民労働者といわれ、受け入れている先進国ではフランスの暴動のように深刻な社会問題が起きている。移民向け金融は途上国の貧困問題の根幹にかかわる。

 枋迫さんが築いた「マイクロ」拠点は、そうした問題解決への巨大な実験になるかもしれない。移民労働者と同じ目線が日本モデルといえる枋迫モデルの強みである。

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