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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2007:12/11/10:01  ++  【やばいぞ日本】第5部 再生への処方箋(7)コメ作りは海外に飛び出した

うまいコメづくりの適地は海外にもあるのだろうか。

 豊かな水と低地が広がり、適度な湿度が必要だ。地球儀をぐるりと回して、日本の北緯35度前後とはちょうど逆の「南緯35度」で探す。

 日本と気象条件がよく似ている南米ウルグアイにそれはあった。かつて米国のカリフォルニア州でコメづくりに励んだ田牧一郎さん(62)と、雑誌『農業経営者』の編集長、昆吉則さん(58)らが適地を絞り込んだ。

 なにかと政治が介入する日本を離れ、外地でジャポニカ米をつくる。日本人による日本向け逆輸出の試みだ。コメづくりの現場は今、政治の思惑を飛び越えて変化のスピードが速い。

 田牧さんに初めて会ったのはカリフォルニアの穀倉地帯だった。福島出身の彼が西海岸にやってきて1年が経過した1990年の暑い夏だ。

 「農業をむしばむ日本の食管制度と離れたかった」

 これが田牧さんを米国に向かわせた最大の理由だ。この年に初出荷した第1号米に「田牧」の名を冠した。

 田牧さんが日本を離れたのは農業疎開だった。耕作面積が狭く、政府の食糧管理制度でがんじがらめのコメづくりに嫌気がさした。郡山市では田植えから収穫まですべてを機械化した。だが、1枚の田んぼが狭すぎて機械力が発揮できない。広げようにも、食管制度に守られた兼業農家が土地を放さない。

 家族を説得して州都サクラメントから北へ1時間半のウイリアムス村で200エーカー(約80ヘクタール)の水田を手に入れた。

 食管制度とは戦時下にできた欠乏時代の法律で、そこに既得権益にぶら下がる人と組織がつくられた。1968年ごろからコメがあまりはじめ、減反政策でコメをつくるよりも転作奨励金をもらう方がもうかる時代があった。

 食管法も12年前になくなり、生産者が農協に頼らずとも台所への直送が可能になった。スーパーでよく見る「〇〇農園のトマト」「××農場のホウレンソウ」もそうだ。

 昆さんに言わせると、空腹の時代から過剰の時代に潮目が変わった。

 「いまや、女性のダイエットから見えてくるのは過剰の中の栄養失調でしょう。消費者が何を求めるかが重要なのに、政治はいまだに旧ソ連のコルホーズ集団農場)のようなことをやっている」

 グラフを見ていただくと一目瞭然(りょうぜん)だ。日本、台湾、韓国、中国の1人当たりのコメ消費量はいずれも減少傾向にある。逆に、豚や鶏肉の消費量は右肩上がりに増える。

 食の多様化が進む日本では、欲しいモノなら高値でも買うが、欲しくないモノはタダでもいらないというぜいたくな消費行動に変わった。

 消費者を振り向かせるには知恵がいる。山形県庄内のコメ生産者、佐藤彰一さん(53)は、発想の転換としてこんな例をあげる。

 消費者が好んで買うコメは小ぶりの5キロ袋が多い。核家族化どころか、いまは夫婦2人の家庭が増えて、いかにも10キロ袋では多すぎる。それを都会の八百屋の店先で、158円のホウレンソウの隣に、やはり158円の2合袋(300グラム)のコメを並べる。

 「ホウレンソウを1カ月分も買う人はいない。コメもその日に食べる分だけを買いたい人がいるはずです」

 いわばパラダイム転換か。田牧さんは「田牧米」のブランドを米国人に売って、いまは日米をつなぐコメのコンサルタントをしている。その田牧さんと昆さんが組んで、ウルグアイなど海外で「メード・バイ・ジャパニーズ」を着々と進めている。

                   ◇

 ■政治のおせっかいは農業に不要

 北にそびえる鳥海山に初冠雪があると、山形県の庄内平野に白鳥たちが舞い降りてくる。収穫を終えた後の田んぼで落ち穂拾いをするためであるという。

 そんな美しい田園風景の中で、いま、農業経営者たちを悩ます一大事が起きている。

 「何が“やばい”かといって、またも政治が農業に口出ししてきたことです。彼らがバラマキ農政に先祖返りしつつあることだ」

 庄内平野の真ん中で、8人のコメ農家が自立してつくった販売会社「米(べい)シスト庄内」の面々が口をそろえる。自身でもコメをつくる社長の佐藤彰一さん(53)に言わせるとこうだ。

 先の参院選では、財源が怪しいのに民主党が農家への直接支払いを約束して大勝した。単なる農家の政治離れなのに、彼らはバラマキ戦術が成功したように錯覚する。とたんに自民党の農林族が浮足立ってきたのだという。

 政治家は、コメ余りが農協などによる消費者のニーズを誤った結果だとは考えない。農林族は余った分を政府備蓄米の積み増しで吸収し、補助金を小規模農家に拡大して支持を引き戻そうとする。

 農家を生かさず殺さず、じいちゃん、ばあちゃんが細々とでも続けることが文字通り「票田」の維持につながる。自立の動きを無視し、農家が「政治に頼る仕組み」でつなぎ留めようとしている。

 佐藤さんはこの時代錯誤に憤る。日本のコメづくりは「つくったから買ってくれ」という時代から、「売れなければつくれない」時代へと大きく転換しているのだという。

 佐藤さんらが1998年に「米シスト庄内」を発足させたのは、山形県の新品種「はえぬき」ができて試食会を開いたことがきっかけだ。消費地を視察して、都内で売られている庄内産のササニシキも買ってきた。みんなで試食してみて、「これがササか」とあまりの違いに驚いた。

 生産者がどんなにうまいコメをつくっても、流通しだいでコメはとたんに劣化する。

 気の合う仲間の間で怒りをぶつけ合ううちに、農協から離れる決断をする。共同でコメの乾燥施設をつくり、まもなく「米シスト庄内」を組織して、直接販売を開始した。

 同じころに農協が4倍の規模の乾燥施設をつくった。ところが、米シストの固定資産税は183万円も徴収するのに、農協施設は公共性が高いからと無税だった。

 「正直ムカッとしたけど、この183万円分をいかにコスト削減で浮かすことができるかを考えた。おかげで、経営感覚をみがくことができた」

 8人がコメづくりで互いに競争し、力を合わせて販路を広げた。いまや経営面積は、稲作が東京ドーム20個分の93ヘクタールになり、ブルーベリー栽培にも乗り出して年間売り上げは2億3000万円にまで成長した。

 農業委員で養豚業を営む上野幸美さん(48)は、時の流れをしみじみと語った。つい最近、地元の農村青年部が自民党の大物農林族議員を招いたものの、会場にはたった40人しか集まらなかったという。

 「時代は変わりましたね。必要なのは、補助金ではなく自由です」(湯浅博)

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