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:2010:11/02/09:16 ++ 内政優先、ロシア強硬、大統領、北方領土入り断行、日ロ関係、袋小路に。
ロシアの最高首脳として初めてメドベージェフ大統領が1日に北方領土の訪問に踏み切り、日ロ関係の冷却化は避けられなくなった。強硬姿勢が前面に出た動きの背景には、2012年の大統領選などを控えるロシア側の政治の内向き志向と、停滞感が強い日本外交への失望感がうかがえる。一方、菅直人政権は尖閣諸島を巡る中国との摩擦への対応と併せて、また重い外交課題を抱えた形だ。(1面参照)
【モスクワ=石川陽平】日本の中止要請を無視したメドベージェフ大統領による国後島の訪問は、ロシア側が日本との平和条約を結ぶ交渉に当面は見切りを付けたことを意味する。ロシアは昨年後半から特に、領土問題で「取引」に応じない日本に不満を募らせていた。11年の議会選、12年の大統領選に向け「選挙の季節」を迎えたロシアは保守化の流れが強まる。
激しい雨が降る悪天候の中、大統領は無理を押して小型機で国後島に入った。約4時間の滞在中、水産加工施設を訪れ、魚を買い、住民の声に耳を傾けた。大統領は「ロシアの中心部と同じように、ここでもより良い生活が送れるようになる」と強調した。
首都モスクワから遠く離れた辺境の地で、大統領は住民の生活にきめ細かく配慮する指導者の姿をアピールした。
政権の内向き志向は今夏以降、目立ってきた。9月10日に開いた「世界政策フォーラム」で、大統領は政治改革を段階的に進め「緩やかな民主化」にとどめる考えを表明。9月末には対立するルシコフ・モスクワ市長を解任し、10月10日の地方選では与党・統一ロシアの圧勝を導いた。
一方で有権者の支持が望みにくい日本との領土問題は、切り捨ててもよい外交案件に優先度が下がった。7月初めに北方領土の択捉島で軍事演習を実施。7月末には日本が第2次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を記念日にする改正法が成立するなど日本へのけん制を強めてきた。
提案なしに失望
日ロ外交筋によると、日本外交への失望感は昨年末までに深まっていたもようだ。1956年の日ソ共同宣言をまとめた祖父・一郎氏の遺志を引き継ぐ鳩山由紀夫氏が首相就任直後の昨年9月「半年とか1年とか」と期限に言及。事態打開の腹案があるかのように対ロ関係の改善に意欲をみせたが、「具体的な提案は日本側から何もなかった」とされる。
ロシア側は昨年秋ごろから、しきりに2島返還での決着を示唆するとともに、北方四島での共同経済活動を打診してきた。だが鳩山氏は昨年11月の日ロ首脳会談で「2島返還では国民は理解できない。それを超えた『独創的アプローチ』があると期待している」と突っぱね、平和条約交渉は完全に行き詰まった。
ロシア側からみれば、交渉を動かすには政権が「選挙の季節」に入る前の昨年末までに何らかの前向きな材料が必要だった。今は日本に期待が裏切られたとの思いから強硬論が台頭。12年の大統領選後を見据えても領土問題の視界は晴れない。
「常識的には行かないと思っていた」。外務省幹部はロシア大統領の北方領土訪問に戸惑いの表情を浮かべた。計画が浮上した9月末、省内では「本気だ」との警戒感と「選挙向けポーズ」との楽観論が交錯。「ロシア通でも真意は読めなかった」(政府高官)という。在京ロシア大使館なども「具体的な計画はない」と言を左右にし、確証を得られないまま1日を迎えた。
ロシア大統領の初訪問という重大事態に至っても、政府は具体的な対抗措置を固めきれない。菅直人首相は1日の衆院予算委員会で「領土をどう守るのか」との質問に「前原誠司外相が駐日ロシア大使を呼び抗議している」と語るにとどめた。
日ロ協力の象徴はエネルギー事業だ。サハリン沖では6案件が進み、サハリン1、2に石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)や商社が参加。東シベリアから日本向けの石油パイプラインも一部開通した。
日本の原油輸入量に占めるロシアの割合は2009年が約4%。今年8月時点で約9%に高まった。
JOGMECは先に東シベリアでの石油ガス田発見を発表。「民間主体の話が多く、政府として協力を断ち切るような制裁を打ち出しにくい」(政府筋)状況にある。
日本の対ロ人道支援は廃止の流れだ。北方領土の住民支援は最大で年間30億円程度だったが、鈴木宗男前衆院議員側が絡む事業の問題の影響で段階的に廃止。日本の経済力の低下もあり、資金面の魅力をテコに領土交渉を進める戦術は通用しにくくなっている。
北方領土を巡り米国は1956年以来、日本を支持。中国は日本との国交正常化後、日本寄りだったが、対ソ関係を修復した80年代後半から同問題に触れなくなった。
【モスクワ=石川陽平】日本の中止要請を無視したメドベージェフ大統領による国後島の訪問は、ロシア側が日本との平和条約を結ぶ交渉に当面は見切りを付けたことを意味する。ロシアは昨年後半から特に、領土問題で「取引」に応じない日本に不満を募らせていた。11年の議会選、12年の大統領選に向け「選挙の季節」を迎えたロシアは保守化の流れが強まる。
激しい雨が降る悪天候の中、大統領は無理を押して小型機で国後島に入った。約4時間の滞在中、水産加工施設を訪れ、魚を買い、住民の声に耳を傾けた。大統領は「ロシアの中心部と同じように、ここでもより良い生活が送れるようになる」と強調した。
首都モスクワから遠く離れた辺境の地で、大統領は住民の生活にきめ細かく配慮する指導者の姿をアピールした。
政権の内向き志向は今夏以降、目立ってきた。9月10日に開いた「世界政策フォーラム」で、大統領は政治改革を段階的に進め「緩やかな民主化」にとどめる考えを表明。9月末には対立するルシコフ・モスクワ市長を解任し、10月10日の地方選では与党・統一ロシアの圧勝を導いた。
一方で有権者の支持が望みにくい日本との領土問題は、切り捨ててもよい外交案件に優先度が下がった。7月初めに北方領土の択捉島で軍事演習を実施。7月末には日本が第2次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を記念日にする改正法が成立するなど日本へのけん制を強めてきた。
提案なしに失望
日ロ外交筋によると、日本外交への失望感は昨年末までに深まっていたもようだ。1956年の日ソ共同宣言をまとめた祖父・一郎氏の遺志を引き継ぐ鳩山由紀夫氏が首相就任直後の昨年9月「半年とか1年とか」と期限に言及。事態打開の腹案があるかのように対ロ関係の改善に意欲をみせたが、「具体的な提案は日本側から何もなかった」とされる。
ロシア側は昨年秋ごろから、しきりに2島返還での決着を示唆するとともに、北方四島での共同経済活動を打診してきた。だが鳩山氏は昨年11月の日ロ首脳会談で「2島返還では国民は理解できない。それを超えた『独創的アプローチ』があると期待している」と突っぱね、平和条約交渉は完全に行き詰まった。
ロシア側からみれば、交渉を動かすには政権が「選挙の季節」に入る前の昨年末までに何らかの前向きな材料が必要だった。今は日本に期待が裏切られたとの思いから強硬論が台頭。12年の大統領選後を見据えても領土問題の視界は晴れない。
「常識的には行かないと思っていた」。外務省幹部はロシア大統領の北方領土訪問に戸惑いの表情を浮かべた。計画が浮上した9月末、省内では「本気だ」との警戒感と「選挙向けポーズ」との楽観論が交錯。「ロシア通でも真意は読めなかった」(政府高官)という。在京ロシア大使館なども「具体的な計画はない」と言を左右にし、確証を得られないまま1日を迎えた。
ロシア大統領の初訪問という重大事態に至っても、政府は具体的な対抗措置を固めきれない。菅直人首相は1日の衆院予算委員会で「領土をどう守るのか」との質問に「前原誠司外相が駐日ロシア大使を呼び抗議している」と語るにとどめた。
日ロ協力の象徴はエネルギー事業だ。サハリン沖では6案件が進み、サハリン1、2に石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)や商社が参加。東シベリアから日本向けの石油パイプラインも一部開通した。
日本の原油輸入量に占めるロシアの割合は2009年が約4%。今年8月時点で約9%に高まった。
JOGMECは先に東シベリアでの石油ガス田発見を発表。「民間主体の話が多く、政府として協力を断ち切るような制裁を打ち出しにくい」(政府筋)状況にある。
日本の対ロ人道支援は廃止の流れだ。北方領土の住民支援は最大で年間30億円程度だったが、鈴木宗男前衆院議員側が絡む事業の問題の影響で段階的に廃止。日本の経済力の低下もあり、資金面の魅力をテコに領土交渉を進める戦術は通用しにくくなっている。
北方領土を巡り米国は1956年以来、日本を支持。中国は日本との国交正常化後、日本寄りだったが、対ソ関係を修復した80年代後半から同問題に触れなくなった。
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