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ひで坊な日々

主に私の仕事と信条に関わるメディアからの備忘録と私の日常生活から少し・・・                             
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:2009:06/02/16:36  ++  特集――GM、栄光が阻んだ変革、米20世紀産業の象徴、77年連続で販売世界一。

出遅れた「選択と集中」
 米ゼネラル・モーターズ(GM)が1日、米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請した。1908年設立の巨大企業はかつては豊かな米国経済と先進の企業経営モデルの象徴だった。創業100年余りの道のりと、昨年11月に米政府に救済を要請してから約200日の動きを追った。=敬称略(1面参照)
 作業ロボットが車ではなく、互いに塗料を吹きつける――。1980年代のGM工場は混乱を極めていた。机上で生まれた「動かない未来工場」づくりに1兆円単位の巨費を投じ、IT(情報技術)など本業と関係が薄い企業の買収にも走った。しかし、すべて無駄。GMが猛スピードで転がり落ちる兆候だった。
▼強い販売力
 日米の自動車産業に詳しいペンシルベニア大ウォートン校の准教授、ジョン・ポール・マクダフィは「80年代に改革のチャンスがあったのに、学びきれなかった」と指摘する。当時はライバルでもあったトヨタ自動車と提携し、米国で小型車の合弁生産事業を立ち上げたばかり。トヨタ流の生産管理などをいち早く学べたはずだったが、ロジャー・スミス会長下のGMは地道な「カイゼン」より派手な大規模投資、企業買収による経営の多角化を好んだ。
 周りを見渡せば、米ゼネラル・エレクトリック(GE)などは余裕があるうちに労務コストを見直し、事業の「選択と集中」に取り組んでいた。GMが鈍重だった理由は過去の成功体験があまりに大きかったためだ。
 GMは1908年、デトロイト郊外の馬車製造の街フリントで創業された。創業者のウィリアム・デュラントは馬車工場で成功した実業家。自動車の将来性に注目し、04年にビュイック社の経営を受け継いだ。
 08年にGMを設立すると、高級車の「キャデラック」などを次々買収。18年には大衆車「シボレー」も吸収した。19年には他社に先駆けて自動車ローンを提供する販売金融会社GMACを設立した。
 GMは31年に「T型フォード」の米フォード・モーターを抜き去ると、2007年まで77年連続で販売台数世界一に立ち続けた。フォードが「大量生産ライン」を生んで成長したのなら、GMは「大量販売」の仕組みづくりがうまかった。
 自動車ローンばかりでない。「キャデラック」から「シボレー」まで様々なブランドをそろえ、幅広い客層を引きつけた。トヨタでいう「いつかはクラウン」のフルライン戦略の原型をつくりあげると、大量消費社会の波に乗った。
 巨大な企業組織の動かし方も、中興の祖アルフレッド・スローンがつくり上げた「事業部制」で解決。そのタイミングは、日本の「経営の神様」のパナソニック創業者、松下幸之助の事業部制導入より早かった。
 スローンは23年にGMの初代CEOに就任。56年に会長を退くまで30年以上もGMのトップの座にあった。事業部制や実績評価などスローンが打ち出した経営手法は産業界に影響を与え、63年に出版された「GMとともに」は経営書としてベストセラーになった。
▼おごりの芽
 全盛期は50~60年代。新車販売の国内シェアがしばしば50%を超え、世界最大の製造業として君臨。モータリゼーションと巨大企業がぼっ興した20世紀の象徴として輝いた。
 「我が国にとって良いことはGMにも良いこと。逆も真なり」。53年にGM社長からアイゼンハワー政権の国防長官に転じたチャールズ・ウィルソンは議会でこう言い放ったことすらある。「GM=米国」だった。
 しかし、栄華におごりはつきものだ。鳴り物入りで発売した新型乗用車で横転事故が頻発すると、対応が後手に回り続け、消費者運動家らの標的にされた。65年には社会運動家のラルフ・ネーダーが著書でGM車の安全性を批判。「GM車」と「巨大企業GM」への信頼は薄れていった。
▼大型車頼み
 70年代には2度の石油ショックが襲う。「環境の時代」のにおいをかぎ取っても、利幅の大きな大型車頼みをやめられなかった。かつて先進企業として導入した年金や退職者向け医療給付の負担が膨大な「レガシーコスト」として積み上がり、経営を圧迫した。
 80年代から始まる大量人員削減は記録映画「ロジャー&ミー」の題材となり、GMはリストラ企業の代名詞と化した。
 90年代に他社に先駆けて商用化した電気自動車「EV1」は採算が合わないとみるとさっさと打ち切った。ハイブリッド車や小型車では後手に回りっぱなし。いすゞ自動車やスズキなどとも提携していたが、2005年から巨額赤字が続くと、保有株を次々と売った。
 昨年末には資金ショート寸前に陥り、米政府の融資で延命した。トヨタに「世界一の自動車会社」の座を譲っても誰も驚かなかった。業界のリーダーの面影はもはや消え去っていた。甘い経営のツケを払いきれなくなり、出直しを迫られた。
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