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:2007:12/11/09:51 ++ 【やばいぞ日本】第5部 再生への処方箋(4)「海賊退治になぜ動かない」
海賊に乗っ取られたタンカーを追跡した多国籍軍所属の米駆逐艦「ポーター」が警告射撃のうえ、タンカーに曳航(えいこう)されていたボートを撃沈した。逃走用だった。10月28日、アフリカ大陸東端のソマリア沖で起きた海賊事件の経過である。
ゴールデン・ノリは引火性のベンゼンなどの化学品を積み、シンガポールからヨーロッパへ向かう途中だった。乗員は韓国人2人、フィリピン人9人、ミャンマー人12人。日本人はいなかった。現在は身代金交渉中ともいわれ、海運会社は「詳しい状況は話せない」とほぼ沈黙を守っている。
当時、海賊に襲撃されたのはゴールデン・ノリのほか、2隻の韓国漁船、1隻の台湾貨物船など計4隻だった。海賊が出没するこの海域は、スエズ運河を経由して、欧州とアジアを結ぶ海上交通路(シーレーン)に位置する。日夜、シーレーンの安全を守っているのは、米軍などの多国籍軍だということがおわかりいただけるだろうか。
事件から5日後の11月2日、多国籍軍艦船に6年間、給油支援を展開してきた海上自衛隊の給油艦と護衛艦は撤収した。
米太平洋艦隊の司令部があるハワイ・ホノルル。2年前から米海軍アドバイザーを務める戦略地政学者の北村淳氏(49)が驚いたのは、海賊事件への米メディアの扱いが日本に比べ、大きいうえ、「日本の船」「日本のタンカー」などと頻繁に紹介されていたことだ。
この事件を契機に多国籍軍は海賊討伐に本腰を入れ始めた。
この海域の海賊については、ソマリアの軍閥が後押しし、手に入れた身代金で武器を買い入れ、アルカーイダに横流ししていた。テロリストの資金源を絶つ絶好のチャンスである。
11月27日には国際海事機関(IMO)が、ソマリア沖の海賊と武装強盗への対応を強化する決議を総会で採択した。この決議は国連に付託され、国連決議となる方向だ。
世界がシーレーンの安全を守ろうと動いているのに、海賊事件の当事国であり、恩恵を受ける日本は多国籍軍から脱落したまま、動こうとしない。
ハワイの大学院で教鞭(きょうべん)をとっている旧知の退役海軍大佐は北村氏にこう語った。
「日本が憲法上の問題を抱えて海自が『実戦行動』を取れないことは承知しているが、撤収は常識的に理解できない。日本はもう何もしないのか」
退役大佐は、海自の能力を高く評価し、日本が国際共同行動の一員の役割を果たすことで、「普通の国」になると期待していただけに、やりきれない表情をのぞかせたという。
パールハーバーには12月5日現在、日本のイージス艦「金剛」と「あたご」が停泊している。米側から弾道ミサイル防衛システムを供与されている最中だ。こうした最新鋭のイージス艦を6隻(1隻は来年就役)保有し、哨戒機P3Cを100機稼働させられるのは米海軍以外には日本だけだ。
海賊討伐のため、日本は護衛艦を出動させ、哨戒機による海上パトロールを実施できる能力を持っている。国会で審議中の新テロ特別措置法案は給油と給水に限定され、海自は、パトロールなどの任務を与えられない限り、対応できない。
だが、国際社会は、なぜ日本が共に汗をかこうとしないのか、に目を凝らす。日本が今のままの内向きな姿勢では世界から取り残されかねないことを北村氏は危惧(きぐ)している。(鵜野光博、中静敬一郎)
◇
■海峡の「守り人」には信頼
日本の最重要シーレーンの一つであるマラッカ海峡の航海の安全を18年にわたって守っているのは佐々木生治(せいじ)さん(56)だ。
マレー半島とスマトラ島との間に延びる約1000キロのこの海峡を、中東諸国から日本に向かう石油タンカーの約8割が通過する。
年間9万隻以上の外航船が航行するのに、航路幅は最小で約600メートルと非常に狭い。浅瀬や岩礁も多いため、大型船には交通の難所となっている。
そのため海上で発光して位置を知らせる航路標識の重要性は高い。日本は1970年代に正確な海図作製に協力するとともに、財団法人マラッカ海峡協議会を通じ、約50カ所の標識のうち30カ所を寄贈した。佐々木さんはそのすべてで敷設前の海洋調査から工事、維持管理までを沿岸国とともに行ってきた。
「標識の明かりが消えたら、安全のため一刻も早く直さなければならない。船の衝突や標識が壊れたという知らせが入れば、すぐに回収し、代わりの標識を入れるのが私の仕事」
日々のメンテナンスも重要だ。同海峡の航路標識には巨大な灯台から人の背丈ほどのブイまで5種類がある。特に発光に必要な太陽電池の性能維持には気を使う。寿命が来た電池の取り換えだけではない。
「大敵は鳥の糞(ふん)です。パネルに落ちても発電量が落ちる。鳥が来ない仕掛けを作り、鳥と知恵比べをしている」
仕事はすべて、海峡を囲むインドネシア、マレーシア、シンガポールの船員との共同作業だ。一緒に仕事をしてきたインドネシアのイプール・シャイフル船長(43)はこう佐々木さんを評価する。
「とにかく現場に向かい、3国の間に入る行動の人。設備も貧弱な現場ですべてがスムーズに進んだのは、ササキのリーダーシップによるものだ」
生まれ育ちは「岩手県の山の中」。小学生になるまで海を見たことがなく、それが逆に海へのあこがれを募らせた。高校卒業後に海洋調査などを行う民間のコンサルタント会社に就職。シンガポール空港建設の現場指揮でマレー語を勉強し、1990年に「現地で意思疎通ができる即戦力」としてマラッカ海峡協議会に迎えられた。
「着任当初は、常にカリカリ怒っていた」と笑う。出航時間を守らず、海に平気でペットボトルを捨てるインドネシア船員をどう指導するかが課題だった。
ペットボトルで作ったリサイクルTシャツを船員に見せながら、「ゴミを捨てるな」と諭し、先頭を切って出航準備に当たるなどして自ら範を示した。
マラッカ海峡は2004年に海賊事件が年間45件発生した。その後は減少傾向だが、「被害届がないものは相当数ある」と佐々木さん。反政府勢力も活動し、「人質にされないために現地風の名前で呼ばせ、軍人を雇ったこともあった」という。
「いつか必ず」と思い定めた仕事がある。1944年7月、同海峡で英潜水艦に撃沈された伊166号の発見だ。2004年に超音波による最初の探索を行ったが、発見できなかった。
「88人の乗員も沈んだまま。ご遺族が健在なうちに、必ずもう一度挑戦し、見つけ出したい」
日本に帰国中でも、標識に事故があるとまずシンガポールから一報が佐々木さんに入る。佐々木さんは日本からインドネシアの基地に出動などの指示を出す。現地の信頼はこの上なく厚い。「ただ、長くやってきたおかげです」。シーレーンの守り人は、はにかむように笑った。(鵜野光博)
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