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:2010:12/02/11:27 ++ 米外交文書の流出が突きつけた問題(社説)
内部告発の情報を専門に流すインターネットのサイト「ウィキリークス」が米国の外交文書25万点の暴露を始めた。中には機密情報や各国首脳に対する悪口のたぐいも含まれ、世界に衝撃を与えている。
米捜査当局は米軍がイラクで民間人を誤射した映像を漏洩した容疑で拘束中の陸軍上等兵が、今回の流出にも関わったとみている。一方、サイトを主宰するオーストラリア人ジュリアン・アサンジ氏にはスパイ防止法の適用も検討しているという。
この問題は幾つかの視点から考えねばならない。第一に、真に機密に値する情報は何かという点だ。
確かに外交や国防に関する情報には、公開すれば国や国民の安全を脅かすものがある。同時に、政府は自らに都合の悪い情報を隠しがちであることも間違いない。内部告発が政府の隠蔽体質に風穴をあける有力な手段になってきたのは事実だ。
米国に限らない。まずはどの国の政府に対してもできる限り情報を公開するよう求めるのが筋だ。外交文書などの公開に消極的な日本政府も、姿勢を改める必要がある。
真の機密と呼べるのは、例えば核施設に対するテロにつながるような情報である。そうした情報の管理強化の必要性が、第二の視点だ。
米政府は2001年の同時テロの反省から、省庁間の情報共有を進めてきた。それが裏目に出たわけだが、一上等兵が簡単に外交公電などに接触できたとすれば、管理体制からみて大きな失態である。
さらに、第三の視点として欠かせないのはウィキリークスの責任だ。
入手した情報の内容はジャーナリストらの協力で検証しているとアサンジ氏は説明する。最近は米英の有力紙など既存メディアに事前に情報を提供し、同時に公表する形を取り始めた。情報が本物か、公表すべきかどうかなどについて、十分チェックしているという主張だろう。
ネット時代にこうしたメディアはあっていい。しかし、彼らの活動自体は事実上野放しでチェックの仕組みがないのが気になる。
既存のマスメディアもネットメディアも、メディアであれば報道した後にも責任を負わなければならない。報道がもたらす影響や、結果的に情報統制の強化につながる可能性も考える必要がある。そうした配慮がウィキリークスにあるだろうか。
ネットへの情報流出は国内でも相次いでいる。ネットが国や国民の安全を危うくするような機密情報を垂れ流す道具になることには、強い懸念を持たざるを得ない。
米捜査当局は米軍がイラクで民間人を誤射した映像を漏洩した容疑で拘束中の陸軍上等兵が、今回の流出にも関わったとみている。一方、サイトを主宰するオーストラリア人ジュリアン・アサンジ氏にはスパイ防止法の適用も検討しているという。
この問題は幾つかの視点から考えねばならない。第一に、真に機密に値する情報は何かという点だ。
確かに外交や国防に関する情報には、公開すれば国や国民の安全を脅かすものがある。同時に、政府は自らに都合の悪い情報を隠しがちであることも間違いない。内部告発が政府の隠蔽体質に風穴をあける有力な手段になってきたのは事実だ。
米国に限らない。まずはどの国の政府に対してもできる限り情報を公開するよう求めるのが筋だ。外交文書などの公開に消極的な日本政府も、姿勢を改める必要がある。
真の機密と呼べるのは、例えば核施設に対するテロにつながるような情報である。そうした情報の管理強化の必要性が、第二の視点だ。
米政府は2001年の同時テロの反省から、省庁間の情報共有を進めてきた。それが裏目に出たわけだが、一上等兵が簡単に外交公電などに接触できたとすれば、管理体制からみて大きな失態である。
さらに、第三の視点として欠かせないのはウィキリークスの責任だ。
入手した情報の内容はジャーナリストらの協力で検証しているとアサンジ氏は説明する。最近は米英の有力紙など既存メディアに事前に情報を提供し、同時に公表する形を取り始めた。情報が本物か、公表すべきかどうかなどについて、十分チェックしているという主張だろう。
ネット時代にこうしたメディアはあっていい。しかし、彼らの活動自体は事実上野放しでチェックの仕組みがないのが気になる。
既存のマスメディアもネットメディアも、メディアであれば報道した後にも責任を負わなければならない。報道がもたらす影響や、結果的に情報統制の強化につながる可能性も考える必要がある。そうした配慮がウィキリークスにあるだろうか。
ネットへの情報流出は国内でも相次いでいる。ネットが国や国民の安全を危うくするような機密情報を垂れ流す道具になることには、強い懸念を持たざるを得ない。
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